章魚ヶ渕の伝説

原文

待崎川にはぜんぜん滝と言う名所や、蜘蛛ヶ滝という伝説に、とんだ滝の他に、余り人に知られていない章魚ヶ渕がある。

古老の語るところによると、昔々部落に、大変親孝行な若者がいた。この若者の母親が、身体が弱いので、医者に見せると、

「労咳だから、栄養になるものを食べさせなくてはならない」

と言われたので、それから若者は百姓の合間を見て、川に釣にいっては鮒や鰻を釣って来ては、母親に食べさせていた。

ある日若者は、よい釣場がないかと、川の中を探していくと、円形をした渕を見つけた。ここなら沢山魚が釣れると思い、釣竿を下ろそうとして、ちょいと渕の岸の岩のところを見ると、大きな章魚がいたので、持っていた小刀でその章魚の足を一本切取って、家に帰り、料理をして母親に食べさせたところ、母親は非常においしいと言って喜んだ。

若者は、それから毎日その渕に行って章魚の足を一本ずつ切り取って来ては、母親に食べさせていた。こうして十日目の日も若者は、その渕に章魚の足を切りに行ったが、その日若者は家に帰って来なかった。

若者が川に釣にいって、帰って来ないので、心配になった母親は、部落の人に若者を探しに行くことを頼んだ。部落の人達が諸方を探すと、円形をした渕の中に死亡して浮かんでいた。そうして、その死体の回りを一本足の大きな章魚がすいすいと泳いでいた。

部落の人達はその大きな章魚こそ、この渕の主だと思い、それ以後誰も、その渕に近づかないようになり、それ以後、この渕を誰言うとなく、章魚ヶ渕と言うようになった。

章魚と言う魚は、海水の中に棲むものであるが、この伝説の章魚は、淡水の中に棲んでいたのだから、伝説の伝説たるゆえんではないだろうか。(山田潔視)

鴨川市郷土資料館『長狭地方の民話と伝説』より