おてねが島

原文

それはいつの時代かわからない。

江見の海岸に姉妹三人の海女が住んでいた。その三人の姉妹は誰よりも美しく、誰よりも海女としての技術がすぐれていて、その上どこの姉妹よりもむつまじかった。海岸から五~六町(一町は百メートルちょっと位)もある海の上に一つの奇形な岩があった。そこには鮹の主が住んでいると誰からともなく言い伝えられて、その島の近くに行く舟もなければ人もなかった。特に体一つの海女達は、そこに近づくのを非常に恐れていた。姉妹のおてねは薪取りの番にあたって、その日は妹二人だけが、あわび取りに出た。海の底まで見透かせる綺麗な水へ豊かな肉体を浮かせて、小さな桶を胸にかかえて口笛吹きつつ沖へ沖へと進むのは、彼女達にとってこの上ない朗らかな楽しい事であった。海の人魚とは、自分達のことを言うのだろうかとさえ思われた。その日の二人は他の海女達と離れて仕事をしていた。すると、不思議にも沖へ沖へと六尺(約二メートル)置きくらいにあわびがあるのだった。二人は狂喜して取り進んだ。「あっ鮹が島に近い」他の人達が叫んだ。人々は恐怖におののいた。二人の姉妹は取れども取れども尽きないあわびに、魂を奪われたかのように鮹が島に近づいて行くのであった。二人は嬉しそうにピューピューと口笛を吹き合わせながら進んでいった。二人の中の一人が「アッ鮹が島だ」叫んだ時はおそかった。たちまち大きな波が盛りあがって、島と二人をおおいかくしたと見るや、またもとの静けさにもどっていた。

海女は皆それをまのあたりに見て、一瞬の惨事に恐れおののきながら陸へ陸へと引きあげた。そうして誰もが鮹の主の仕業と信じた。

中には「大きな足が見えたっけ」と言う者もあった。

山から帰ったおてねはその日一日泣いていたが、翌日はもう泣いてはいなかった。そして、笑わない人となってしまった。こぼれるような愛嬌を見ることのできなくなった人々は、鮹の仕業を憎んだ。二人の妹が鮹の餌食になった七日目の朝早く、おてねの家の前を通った海女の一人は驚いた。家の前には長さ三間ほど(約五・四メートル)の鮹の足が置かれてあった人々はおてねが妹達の復讐をしたのだろうと噂をした。鮹の足が置かれたのは一日ではなかった。翌日もその翌日も恐ろしい鮹の足はおてねの家の前に並べられ、七本となった。

おてねはやはり泣きも笑いもせず、真相は知れなかった。人々は明日の朝を楽しみにした。明日で鮹の足の謎はもはやはれるのだから。しかし、翌朝人々がおてねの家の前に行った時、鮹の足は八本はなかった。それから幾日たってもおてねは帰ってこなかった。ただ夜になると鮹が島のあたりから白銀の笛のような美しい声で、悲しい唄が聞こえるのだった。それから誰が名づけるともなく、その島をおてねが島と呼ぶようになった。「二度といくまいおてねが島に、行けばおてねが足投げる」

こんな唄が海女達に唄われたという。(長狭高)

鴨川市郷土資料館『長狭地方の民話と伝説』より