竜光山にまつわる話

原文

今から何百年も昔のお話です。

ある時、嵐が来ました。嵐の去った後、一人の若い漁師が海岸を通りかかりました。すると砂浜に漁師の娘とは思えない素晴らしい着物を着た娘がいるではありませんか。娘は若者に向かって、「ここはどこですか」と聞いてから、「私は漂流してきました。船は幸いなことに難破もせずに無事に浜辺に着いたのですが、お腹がすいて死にそうです。すみませんが、一晩の宿と食べ物をいただけないでしょうか」というのです。娘の必死の頼みで、漁師は草を土間へしいただけの、とても小屋とは言えない粗末な家に案内しました。

一晩が二晩となり、その間、娘は一生懸命、裁縫や飯炊きをしました。今まで一人だった若者にとってはこれ幸いでした。やがて若者と娘は結婚しました。後に他の漁師仲間に「おめえ、あの娘が板子一つで漂流してきたのに、着物が濡れてなかったのを気づかなかったのか」などと言われましたが、もう若者にとってはどうでもよいことでした。

そして男の子が生まれ、若者と娘には幸せな毎日でした。そうこうするうちに、三年たちました。ある夜若者がふと目をさますと、娘がいません。次の晩もその次の晩も娘はどこかへ出かけて行きました。「他に好きな漁師でもできたのだろうか」と若者は半信半疑でした。三か月ほどたつと、しけがきましたので、若者は船をあげたりしました。その日娘はあらたまって、「いろいろお世話になりましたが、お別れしなければなりません。実は私は海底の竜王の息女なのです。私がある時、親の注意をはなれて遊んでいると、わにざめにおそわれました。もうだめだと思ったとき、あなたが通りかかり、わにざめを捕らえてくださったのです。そして私は助かりました。竜宮に帰り、その事を父母に言いますと、“人間でも義理人情を知っている。ましてや、我等はなお、義理人情を大切にしなくてはならない。今からただちに陸へあがって、その青年とやらに恩がえしをして来なさい。しかし一週間しかいてはならないことを忘れないよう。”そう父母に言われまして心を決めてきたら、情にほだされ、三日が四日になりやがて子供も生まれると、帰るに帰れなくなり、三年の月日を送ってしまいました。ほんとうに幸福な日々でございました。しかし私には、海底に許婚者がいるのです。それで夜になると、なぜ帰ってこないのかと合図があるのです。親元に帰ると海底で結婚しなくてはなりません」、そう言って娘は涙を流すのでした。

そして、さらにかつぎをとってみせると、何と片目がありません。どうしたのかと若者が聞くと、「私には乳房がございません。それで私の目を三年間坊やになめさせたのです。父母にみつかると大変叱られますので、かつぎをかぶっていたのです。もう本当にお別れでございます」と娘は言うのでした。若者は「せめて赤ん坊が六つになるまでいてくれ」と必死に頼むのでしたが、娘はがんとして聞き入れず、「私もあなたや坊やと暮らしたいのはやまやまです。しかしそうしてしまったら、私はもう竜の仲間にもどることができず、竜の奴隷にならなくてはなりません。どうぞあなたは再婚して、坊やといつまでもいつまでも幸福にお暮らし下さい」、「しかし、坊やは三つ、おまえがいなくなっては困る」、若者がそう言うにもかまわず、「それでは坊やが泣いたら、これをあげて下さい」と、自分のもう片方の目をくりぬいて、きれいな袋に入れて若者に渡し、「子供が大きくなってその玉がまだあったら……海の方へむけて、光らせてください。そうすれば両目ともありませんが、海の底から、心の目であなたたちを見守っていましょう」、そう言いのこして娘はいなくなってしまいました。それからその子供が大きくなり、十五歳になった八月十五日の晩、母子は再会しました。若者、いえ父親は、子供に昔の話をしてやり「おまえはあずかった子供だ」と言って聞かせるのでした。その時、まさしく両眼のない竜が波間に浮かんで海から陸へと体をうねらせていました。その後、子供が成人して網元として立派になった時、父親の遺言通り父母の碑を山の上に建てたそうです。

その山の名を、現在では竜光山と言っております。

(長狭高)

鴨川市郷土資料館『長狭地方の民話と伝説』より