藤姫

原文

むかし、手賀沼のほとりに我孫子五郎という豪族の館があったが、ここには藤姫というそれはそれは美しい姫がいたんだよ。

沼の反対がわの戸張には、戸張弾正という豪族がおったが、その息子の一人の若狭之介は、りりしい若者で、娘という娘はみんなあこがれの目でみつめていたんだよ。

藤姫とねえ、若狭之介は、両方の親が、

「そのうちいっしょにしてやろう」

と、決めていた仲だった。

そりゃもう、誰にいわせても、似合いの一組だったね。

ところがここに一人だけ、それを喜ばない者がいたんだ。

藤姫のまま母でね。二人をきらっていたんだ。

若狭之介が、藤姫に会いにやって来る道に、まま母は刀を持った家来たちを待ちぶせさせて、むごたらしく殺してしまったんだよ。

おまけに、沼にその死がいを捨てさせてしまい、なにくわぬ顔をしていたんだよ。

藤姫はね、まさかそんなふうにして若狭之介が殺された、なんて思わなかった。

それで、まま母が、

「若狭之介の死体を、沼で見た者がいるそうだよ」

と、耳うちすると、

「せめて、せめて亡きがらなりと、この手でお墓に入れてさしあげたい」

と、一も二もなく探しに行くことにしたんだ。

それが腹黒いまま母の、悪いたくらみだ、ということを知らなかったんだね。

しかし、姫のお付きの者たちは、

「どうも、あのまま母のようすはおかしい。何か、よくないことが起きそうだ」

そう思って、さかんに止めたのだが、姫は、お付きの者たちをふりきるようにして、ただ一人、若狭之介の亡きがらが浮いていたとまま母が教えたあたりに、舟をこぎ出したんだよ。

ところがところが、恐ろしいまま母は、自分の家来に命じ、ひそかに舟の底に穴を開けさせておいたんだ。

そのために、姫の舟は沼の一番深いところでぶくぶく沈みかかった。

いよいよという時に、岸にまま母が現われた。助けを求める姫に、

「ハハハハ……おろかな姫よ。死ぬがいい」

と、笑った。

人をうたがうことを知らなかった姫も、これですべてがわかったんだね。

「おぼえているがいい」

と、叫んで沼に消えていったんだ。

心にけがれのない姫だけに、だまして殺されたことに、すさまじいうらみを持ったんだね。

姫の体は、沼の底に着くとともに、みるみる変化していった。

それは、三丈余り(約十メートル)もある大蛇(おろち)の姿だったんだ。

大蛇はすぐに水面へ浮かぶと、まだ岸に立って笑い顔を見せいていたまま母に、とりついて殺してしまったんだよ。

でも、これだけではすまなくなってしまってね……

姫のうらみから生まれた大蛇は、沼へ魚をとりに近づく漁師を見つけると、片っぱしから水中へ引きこんでしまうようになったんだ。

これでは安心して働くことができない。困った漁師たちは、頭をよせて相談をはじめた。

ここへ、旅の山伏が通りかかってね、その話を聞くと、

「よろしい、わしが祈祷で、大蛇ののろいをといてしんぜよう」

と、いったんだ。

山伏が護摩を焚き、お経の巻物をかかげて祈ったところ、稲光りとともに大蛇が沼から現われて、ひと飲みにしようとおそいかかったんだ。

一歩もひるまぬ山伏が、するどく、

「エイッ!」

と、お経を投げつけると大蛇に当たった。

大蛇は苦しそうなうめき声をあげ、のたうちながら沼へ逃げこんでいったそうだ。

「まだ安心はできない。だまし討ちにあった藤姫の怨念は、この沼にとどまっておる。いつかまた出て来て、人びとに害をなすやも知れん」

山伏はこういってね、のろいを封ずるためにと、祈祷の場所を作るのに用いた柱の一本を抜いたんだよ。

それを、みんなの見守る中、沼に向かって、

「エヤーッ!」

気合いもろとも投げこんだんだ。

そうしたら、まあ、なんというふしぎかねえ、水しぶきをあげたその柱が、一瞬のうちに大きなウナギに変わってしまったんだよ。

ばしゃん! ひとはねすると大ウナギは、沼の底深くもぐっていった。

この大ウナギがね、手賀沼の主になったんだ。

そのおかげで、それからは大蛇はもちろん、藤姫の怨念は一切現われなかった。

漁師たちはねえ、心おきなく仕事にはげむことができたんだ。

「だから、手賀沼の大ウナギは、大切な守り神と同じだ。捕かまえようとしたり、見かけても追いかけたりしてはなんねえぞ」

そういい伝えたんだってよ。手賀沼のまわりの人たちは、ずーっと。

岡崎柾男『柏・我孫子のむかし話』
(単独舎)より