藤姫

千葉県我孫子市

手賀沼の畔に我孫子五郎という豪族がおり、藤姫という美しい姫がいた。対岸の戸張弾正という豪族の子、若狭之介とは親同士も認めた将来を誓う仲だったが、藤姫の継母はこれを喜ばず二人を嫌っていた。そしてついに、継母は家来に待ち伏せさせ、若狭之介を殺し、沼に捨てさせてしまった。

その上何食わぬ顔をして、藤姫に若狭之介の死体を沼で見たものがいるそうだ、と告げ、疑うことを知らぬ藤姫が単身舟でそこへと向かうよう仕向けた。しかし、その舟は継母の手下により底に穴が開けられており、藤姫の舟は沼に沈んでゆくのだった。

これを岸から見ていた継母は、助けを求める姫を笑い、愚かな姫よ、死ぬがいい、との言葉を投げた。さすがにすべてを悟った姫は、沼の底に着くや否やその怨念で大蛇と化し、すぐさま水面に浮かぶと、まだ岸で笑っている継母を殺した。

ところが、姫の怨念から生まれた大蛇は、それから沼に出る漁師たちまで水に引き込むようになってしまった。そんな難事に悩む村人の前に、旅の山伏が通りかかり、話を聞いて大蛇の調伏を引き受けた。山伏は護摩を焚き、一心に祈り、襲いかかる大蛇に経文を投げつけ、これを撃退してのけた。

それでも山伏は安心はできないといい、祭壇に使っていた柱の一本を抜くと、気合いもろともに沼に投げ入れた。と、なんという不思議か、この柱が大ウナギに変化して、沼の底深く潜っていった。その大ウナギが手賀沼の主となったのだという。

それより大蛇は勿論、藤姫の怨念の障りもなくなり、漁師たちは安心して沼に出ることができるようになった。そして、手賀沼の大ウナギは守り神と同じだから、捕まえたり追ったりしてはいけない、と伝え続けてきたのだという。

岡崎柾男『柏・我孫子のむかし話』
(単独舎)より要約

藤姫がいたのは沼北の我孫子市側。南岸柏市側の「手賀沼自然ふれあい緑道」にも、この伝説を刻んだ蛇の石碑が並んでいる。悲恋の姫の残念大蛇となり、というとよくある話のようだが、その結末が大変興味深いものとなっている話だ。

つまり、山伏の召喚した大鰻が大蛇を抑えているという、ということになるのだろう。手賀沼のヌシというのも牛・亀・鰻といろいろな話があるが、怨念の大蛇を抑えるほどの大鰻のヌシというのは、龍学上ひときは目をひかれる。他に見ない構成じゃないかと思う。

定跡どおり追うならば、これが虚空蔵さんの眷属である鰻なのかどうかという点を調べるべきだろうが、現状は不明。手賀沼はかつて大変鰻が捕れたということで、ヌシのような大鰻への禁忌はあるが、鰻そのものへの禁忌というイメージは薄い。