人力車に乗った白蛇

原文

話や上野っから始まるだ。ほれ、東京の上野。あれだ。

ある晩のこんだ。

上野の不忍池んところで、人力の兄いが一ぷくしとったら、

「車屋さん、柏の布施まで行きてえだが、ちいっと遠いが、弁天様までいくらだべ」

こういって、すっとね、目の前へ白い顔のむすめが現われたとよ。

「へえ」

てったきり、車屋はしばらくむすめに見とれてしまった。なんといっていいだか、いやー、きれいなむすめだったって。高島田に結ってね。

車屋が〝へえ、いくらいくらけんとうで行ぐべ〟てったら、前金と駄賃とくれてよ、乗ったって。

さあ、きれーなむすめっこに前金もらって車屋の兄いは、張切りのうえにも大張切りでおっ走った。

布施の弁天様のとばくち(入口)へ着いたんで、車屋が、かじ棒をおろすべえと思って、ひょいとふり返ったら、

「……」

誰ぁれもいねえ。

そんでなぁ、むすめっこのこしかけていたとこ、どっぷら水に漬けたみてえになっとった。

「おかすいなぁ、まさかのまさかでも、むすめっこを道中で落っことしたわけじゃあんめえに……」

思案しながら、弁天様の社の方へ、首ったまひねったら、今しも、白ーいくちな(白蛇)が、ずるっずるっと暗がりへ消えてゆくとこだったって。

走るが商売の商売の車屋の兄いも、足がすくんでしばらくぼけーっとしとったとよ。

上野と布施の間を、こうしちゃぁ白ーいくちなが往ったり来たりしておったが、二つの弁天様のお使い役をしていたわけでしょうよ。きっと。

岡崎柾男『柏・我孫子のむかし話』
(単独舎)より