和泉池のお話

千葉県東金市

昔、日吉神社の近くに和泉どんと呼ばれた長者がいた。田畑をたくさん持っていたが、ある年ひどい日照りが続き、作物がみな枯れてゆくという難事が起こった。村の人たちは必死に神仏に雨乞いをしたり、水源を探しまわったりしたが、どうにもならなかった。

和泉どんもいろいろ考えたが、名案も浮かばず、ある日とうとう鎮守の日吉神社にお参りして、日照りの害から守ってくれ、お米がたくさん取れたら、娘を神様に差し上げます、と約束してしまった。すると不思議なことに、雨は降らなかったが、和泉どんの田の稲だけは助かって豊作となったという。

ところが、この僥倖に浮かれ、和泉どんは神様との約束をすっかり忘れてしまった。そのうちに、娘は高熱を出し、どんな医者の薬でも熱が下がらず、食も細り、どんどんやせていってしまった。その娘が、ある日、やつの池の水が飲みたい、と言い出した。

やつの池とは日吉神社の裏の池で、娘は直接そこへ行って飲みたい、という。和泉どんは駕籠を頼んで娘を池へ連れて行き、水を飲ませることにした。しかしその時、一口水を飲んだ娘は、そのまま身を躍らせて池に飛び込んでしまった。底なしといわれる池であり、助けに入った者も届かず、娘はみるみる沈んでいってしまった。

そして、その身代わりのように、一匹の大きな白い蛇が現われたのだという。蛇はしばらく和泉どんの顔を見ていたが、やがて日吉神社の森に向かい、姿を消した。それから池を「和泉池」とも「雌蛇池」とも呼ぶようになり、この話を語り伝えたという。

東金市教育委員会『東金の昔ばなし』(NTT)より要約

大豆谷(まめざく)の日吉神社のこと。今もその北東側に和泉池(和泉ヶ池)はある。もっとも、日吉神社(山王さん)は、かつて少し南の山王台公園にあったものを嘉慶元年に現地に遷したという。社伝だが、伝教大師直々の勧請と伝える、紛うことなき山王大権現だ。

それがどういった訳なのかは全く分からないが、両者視野に入れて考えておきたい。なお、和泉池をまた雌蛇池というとあるが、この西へ、歩いても30分くらいの所に有名な東金の雄蛇ヶ池(おじゃがいけ)があり、当然雌雄の池のヌシが往き来したという話もある。