どんぶりの主

原文

どんぶりの主ってえのはだいたい元は、蛇だ、蛇だったよね。そらあたしらも実際、十五、六の時分だったか、二、三回見てるけどね。こんな太いでね。ちょうど一間、二メートルくれぇあったかな。ま、今でいえば青大将だよね。青大将の方がおっきいだよね。相当、年数をへた蛇らしいね。だかい(だから)、ちょうどあたしらほど、二十ぐらいの人がね、その人はいたずら者で、むかしはよく、裁縫の針ね、あれでねどじょぶち(どじょうをとる道具)っての、こしらえただ。

その人もかなり、むかしからいたずら坊主だっていったけどよ、どんぶりにどじょうとりに出たらね、とじょうがいたと思ってやったらね、やったら初めは逃げられちまって、二回目にやったら、どじょうの目んとこへ当たっただよね。そしたら、どじょうが怒ってね、大きくなって、その、蛇がどじょうに化けてただね。そいで追っかけてきただ。

そしたら、そのさ、こっちからこっちに海苔屋があったでしょ。そこの海苔屋松本って。その人がみつけてさ、助けてくんねぇって、かじりつかれたわけだよね。そして、その人が勘忍してくれぇってわけでもって、謝ってさ、そいでしょうがないで、毎月一日、十五日だかに、お赤飯を炊いてそれを祀っただよね。

だから、そのどんぶりの蛇ってのは片方目がつぶれてただ。

今は子供、孫、孫の子ぐれぇだから、やってねぇかもしれねぇやね。そいで今はどんぶりの主の話ってぇのは誰も知らねぇかしれねぇよ。あたしらぐれぇの年のもんは、だいたい話聞いてるからね。どんぶりの主だとか、ヤエンガの主だとかってね。いろんなの、その蛇にまつわる話をね。

そいでそいからね、あえだ、嵐があってね。その家はすぐ海岸通り、海岸のすぐ波うち際だね、そいで普通ならその、嵐で家流されちゃうだよね、みんなほら近所ん家は、流されただから。そこの家だけは流さんねぇだよね。そいたら、その嵐んときにはそれ、その蛇がね、大きくなってね、家をグルグルグルグル巻いて守ってただって、家を巻いて、家をグルグルグルグル巻いて、家が流れねぇように押さえてたって。だからその家はいまだに残ってるよ。

宮崎貞助(七四) 中島

 

類話:

ぜんごろう(屋号)のおっつぁんっていうのがね、どじょうぶちで、蛇の目をつぶしちゃったって。

そしたら、それでいたがってかい(いたがってか)、どんぶりの爺さんが、それを助けてやったって、それからだって、蛇にいつだかの日になると、御神酒あげてよ赤飯炊いてね、その蛇のいうこと聞いてやっただがねえかなあ。そうしるとね、今は護岸がこうあって家がありますから、多少の嵐があっても完璧なんですがね、むかしは護岸がねえだから、その砂浜に家が建ってから、だから嵐がくると土手が洗われちゃう。

前はだから、嵐になるとこっちへ避難してきたですけれど、今はほとんど避難もしませんが。その時分に嵐がきて流されそうになったら、その蛇がとぐろ巻いて、その家守ったから、他の家は流されたって、河岸の重兵衛(屋号)だけは助かった。

どんぶりっていいうのはむかしの大地主ですよ。一番の大地主ですよ。どんぶりというのは屋号がどんぶりっていう家があって、一つはため池のことをどんぶりの池っていっていた。地名がどんぶりって、その池の主のことでしょ。

篠田一恵(五七) 中島

木更津の民話刊行会『きさらづの民話』
(みずち書房)より