貝渕の日枝神社伝説

原文

むかし、日本武尊が吉備武彦や大伴武日連などの部下をひきつれて、この地の賊を平らげにやってこられた。そのある日のこと、日本武尊が海岸を歩いていると、亡き弟橘姫命の櫛が落ちていました。

尊は、その櫛をひろい姫をなつかしんでいると、突然どこからか一匹の大きな、恐ろしい毒蛇があらわれ、今にも尊に飛びかかろうとしました。が、毒蛇は人に気づかれたので、すばやく近くの穴の中に入ってしまいました。それを見た尊は、あたりの石を拾って、その穴に投げつけ、

「この蛇、出るんじゃないぞ、この地に住むじゃないぞ」

と、いいました。それから、ずっと今に至るまで貝淵には一匹の蛇もいないと伝えられています。そして、後、人がこの日本武尊の話を聞いて尊のその徳をしたい祀ったのが日枝神社ということです。

 

類話:神様のはなし

むかし、むかし、貝淵の日枝神社に、ありがたい、ありがたい神様がおられました。

ある時、神様は白馬にのって、外からやってきた敵と戦いました。

そして、その戦いの最中に馬が、突然驚いて飛び上がった拍子に、神様は落馬し葦草の上に落ちてしまいました。

すると、その時運悪く、その葦草の上には、一匹の蝮がいて、神様の眼に食いついてしまいました。

神様はその傷のために長い間苦しみました。そして、神様はとうとう、そのために左の眼が見えなくなってしまいました。

その時、神様は村の人達に向っていいました。

「今後、この地で葦草をつくってはならぬ、白馬を飼ってはならぬぞ」

そして、また、神様は蝮が出ないようにその村の地を封じました。

それ以後、貝渕の村人は一頭の馬も飼わず葦草もつくりませんでした。

そして、その後村内には一匹の蝮の姿を見たものはありませんでした。

他の地からたまたまにこの村に蝮が入ってきても、自然と体の自由がきかなくなって死んでしまいました。

そして、いつのまにかこの話が近郷の村々にも伝わり、やがてこの日枝神社の境内の砂をもらってゆき、その砂を家の周辺にまくと、蝮が一匹も出ないといわれるようになったということです。(中嶋清一編『生活の古典』)

『木更津市史』より