ふしぎな弁天様

原文

元阿保から四軒を通って、上里の長幡へ通じている道があります。その道で四軒の中ほどに、静かなお寺があります。このお寺は、延寿山妙法寺といい、昔は閻魔堂(地ごくの王様をまつってあるたてもの)だったと言われています。このお寺の参道(おまいりする道)の右側に、美しい姿をした松があります。その松の下に小さな祠(小さなやしろ)があり、中には、十五センチメートルぐらいの木のご神体がおさめられています。

このお寺の住職小林恵定さんの息子(一美さん)が学校へでる前の話です。

昭和三十年ごろ、つゆもおわりに近づいた、ある日のことです。田植えもほぼおわり、水田では、かえるがにぎやかに歌声をあげ、夜空では、天の川を中心に星がまばたきはじめました。元阿保から四軒に流れている楠川は、とてもきれいで、ほたるが毎晩飛び交い、かえるが大声でないていました。子どもたちは、夜になるのをまちわびて、今夜も竹ぼうきやあみをもって、川にやってきました。

「ホ・ホ・ホータルこい。そっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ、ホ・ホ・ホータルこい。」

と叫びながら、ほうきをふりふり、ほたるとりをはじめました。住職の息子もほたるがとりたくて、母親にねだってつれていってもらいました。ほたるは、川の上を中心に、土手にも、田んぼにも、いっぱいいました。息子は、ほたるがいっぱいいるので、おどろいていました。

そんなとき、ひときわよくひかるほたるが、目の前を通り、川端の柳の木の方へとんでいきました。息子は、そのひかるほたるを取ろうとして、柳の木のそばへ近づいていきました。しかし、いくら行っても、ほたるのそばへ近づけないで、息子と母親は、ひかるほたるにすいつけられるように、遠くまで引きよせられ、とうとう、仲間の友だちと、はぐれてしまったのです。

息子と母親は、はぐれてしまったこともしらずに、びしょぬれになりながら、ひかるほたるに近づいて行きました。やっとの思いでひかるほたるを取ってみると、どうでしょう、それはほたるではなくて、木でできているご神体だったのです。まわりを見ると、友だちが一人もいないのに気づき、どこまでつれてこられたのか、心配になってしまいました。よく見ると、宮往還の近くにある、長幡の病院跡のお堀端だったのです。息子と母親は、いつの間にかこんな遠くへ来てしまったのかと驚き、ひかるほたるに化けた、ご神体をもって、いそいで家へ帰っていきました。

息子は、父に今夜のことを話して、ご神体を見せました。そのご神体を見た父は、祠の中に入れてある弁天様にそっくりなので、よくにているご神体があるものだと感心し、不思議に思いました。まさか、うちの弁天様がひかるほたるに姿をかえたとは、とても思われませんでした。そこで、庭にある祠の中を調べてみました。するとどうでしょう、あるべきはずの弁天様は、影も形もないではありませんか。このひかるほたるは弁天様だったのです。父は、すっかりおどろき、ひかるほたるが息子を呼びよせ、あんな遠くまでつれていき、拾わせたことは、弁天様が息子を川から守ってくれたことだと思いました。そこで、このことは、神様のごりやくのあらたかなことだと思い、ていねいに供養(おいのり)し、祠におさめ、よくおまつりしたということです。

(神川村 四軒在家 坂本清一・荻野政雄・渋谷機智夫さんより)

児玉郡・本庄市郷土民話編集委員会
『児玉郡・本庄市のむかしばなし』(坂本書店)より