今は東松山となる坂東三十三ヶ所十番の「比企の岩殿」には、昔悪龍がいた。その地は谷が入り組み、悪龍は九十九の棲家をもっており居場所を知りがたく、農民は苦しんでいた。このことを坂上田村麻呂が聞いて、悪龍討伐をしようと攻めた。
しかし、やはり悪龍の所在は掴みがたく苦戦が続き、兵たちも疲れ切ってしまった。悪龍はこれを好機と、さらに六月の暑いこの時大雪を降らせ、田村麻呂の軍勢を凍えさせた。田村将軍以下は近くの民家に逃げ込み、ちょうど収穫期だった麦の粒を燃やし、尻をあぶって寒さをしのいだ。
ところが、この雪のせいで、龍の足跡がくっきりと残ってしまったのだった。田村麻呂はそのあとを追って、ついに悪龍を退治した。悪龍は策におぼれたのだった。こうして、それ以来この付近では六月三十日になると小麦の殻「小麦ピール」を燃して尻をあぶると無病息災というようになった。
岩殿の毒大蛇退治(「岩殿山正法寺縁由」)がより昔話風に語られたもの。岩殿山縁由に強調されない部分としては、土地の山谷が入り組んでいて、竜蛇の所在が知りがたく、神出鬼没だったという点が重要となる。これは各地の昔話でのこの話で多く語られるモチーフで、征夷譚であることをよく示す。
話の筋はほぼ同じだが、雪の降った理由が岩殿山縁由と逆転しているところには注目しておいたほうがよいだろうか。東松山市内で語られる昔話としてのこの話でも、雪を降らせたのが竜蛇のほうだということがある(縁由では誓願に応じて仏恩で雪が降る)。
また、この初夏に火を焚いて尻をあぶる風習を「けつあぶり」といって、比企郡を中心に広く行われたが(三十日とあるのは誤りだろう、全般的にこれは六月朔日の行事とされる)、これは尻をあぶるだけでなく、その灰を撒くと虫蛇が近寄らぬ、魔除となるなど、小正月火祭りのようにするところもある。