龍穏寺の縁起

原文

今は昔のその大昔、深い湖がこの地にありました。秩父方面に向かう旅人は、どうしてもこの深い湖のそばの山道を通っていかなければなりませんでした。この湖に悪龍が住んでいました。この悪龍たちは恐ろしい龍で、ここを通り過ぎていく旅人たちを食べてしまいました。

村人たちは、この湖に住む悪龍たちの機嫌をそこなわないように、何かとお供えものを調えて、あちこちに龍神さまを祭り、その荒々しい心を鎮めるようにと一心に祈りました。それでも、悪龍たちの乱暴は少しも静まる様子もなく、その恐れおののく声は遠くまで伝わり、江戸城を築いた太田道灌さんまで伝わりました。このころ、道灌さんの父の道真さんは越生の地に住んでいました。

村人たちの切実な願いを聞いた道灌さんは、この悪龍たちを鎮めるには、自分が日ごろより師として尊敬している高僧の雲崗俊徳和尚さん(※龍穏寺第五代住職)にお願いするしかないと言い、その和尚さんを遣わしました。雲崗和尚さんは、なんとかしてこの暴れる龍の行動を抑えさせようと、たくさんのありがたい教典を持ち、この湖にやってきました。

さっそく、湖を目前にする愛宕山(あたごやま)に登って、悪龍たちに、乱暴をやめるように説得し続けました。そのかたわら、持ってきたたくさんの教典を読み上げ、いく日もの間、座禅をすることによって、悪龍の暴動を押さえ込む戦いが続きました。

ところがどうでしょう、雲崗和尚さんの努力の効というか霊験というか、いつしか悪龍たちは過去の悪行を断ち切って、今度は仏さまを敬い、善龍となって奉仕することを約束しました。善龍となった龍たちは、雲を呼び、竜巻に乗って天に登っていってしまったといいます。その時、湖は竜巻が起きたため大嵐となり、水があふれ出て湖の底まで見え、数年たって平地となりました。あふれ出た水は現在の越辺川になったといいます。

雲崗和尚さんは、龍の心が静かになり善龍となったことを記念し、道灌さんの援助をお願いして大きなお寺を建てました。そのお寺の名前は、龍の心が静かになったという意味から、龍穏寺と名付けられたのです。そして、龍が住んでいた谷ということから、龍ヶ谷の地名が生まれました。(龍ヶ谷)

越生町教育委員会『おごせの昔話と伝説』より