しっぽを切られた竜

原文

むかしむかし、越生の竜ヶ谷の辺りには大きな湖があって、そこには恐ろしい竜が住んでいたそうな。村人はこの竜を“竜ヶ谷の竜”と呼んで、怖がっていたと。

しかし、竜ヶ谷の竜は、ふだんは湖の底にひっそりと静かにしていたそうな。竜ヶ谷の竜は、雄の竜だったと。この竜は夜になると、ときどき湖から抜け出して天に昇り、そのままどこかへ出かけていったそうな。

竜ヶ谷からいくつかの山を越えた名栗には有馬谷があって、そこにも一匹の竜が住んでいたと。有馬谷の竜は、雌の竜だったそうな。実は、竜ヶ谷の雄の竜は有馬谷の雌竜に思いを寄せていて、ときどき山越えをしては会いに行っていたんだと。

竜ヶ谷の竜が有馬谷の竜に会いに行く途中には、高山の不動様があったそうな。竜ヶ谷の竜は、行きも帰りも高山の不動様の上を飛んでいたと。

やがて高山の不動様は、竜ヶ谷の雄竜が空を飛んで往復するのは、有馬谷の雌竜に会いに行くためであることを知ったそうな。威厳のある不動様は、激怒して言ったと。

「なんと汚らわしい竜であることか。しかもお不動様の上を飛んでいくとは……」

ある夜のこと、不動様は、竜ヶ谷の竜がやって来るのを、剣を持って待ち伏せしていたそうな。間もなく雲が騒ぎだし、黒雲の中から勢いよく竜ヶ谷の竜が姿をあらわしたと。

「よし、今だ! ここを逃してはならぬ」

不動様は、竜ヶ谷の竜を目がけ、鋭い剣で切りつけたそうな。

不意をつかれた竜ヶ谷の竜は、危ういところで身をかわしたが、長い体のしっぽの方だけはかわしきれず、大事な尾をぷっつりと切り落とされてしまったと。

竜ヶ谷の竜は驚いて、切りつけたのはだれかと辺りを見まわすと、不動様がものすごい形相で、再び剣をふりおろそうとしているところだったそうな。

「お不動様が相手では、とてもかなわない」

竜はそうつぶやいて、すぐさま竜ヶ谷の湖へ引き返したと。しっぽを切られた竜ヶ谷の雄竜は、かっこうが悪くて、有馬谷の雌竜に会いに行けなくなってしまったそうな。

市川栄一『奥武蔵の民話』
(さきたま出版会)より