九頭竜講

原文

島田の神獅子

九頭竜神社は天神社の摂社で、九頭竜大神を祭っている。島田は低地にあるので多雨の際は毎年のように水害になやませられた。ある時、大水害で越辺川が氾濫し堤防を破壊したので島田は危機に瀕した。この時、九頭竜神社の雌雄の竜神は海原と化した耕地を守るため、角を波上に突きたて、眼をらんらんと輝かし、小沼部落に向い、小沼の堤防を破壊した。島田はあやうく水害の難を免れることができたという。爾来、竜神は神獅子として氏子の信仰のシンボルとなっている。(『入間神社誌』P五八四)

 

九頭竜講 勝呂

武蔵国では一に荒川二に越辺川と荒れる川の名でよばれてきました。この越辺川沿いの村が今のように開けていなかった昔の話です。 ある年の夏のこと、毎日毎日雨が降り続きその上暴風雨さえ来て、越辺川の水嵩が増し濁り水が氾濫し土手もゆれ動き、今にもきれるのではないかと人々は生きた心地もなくハラハラしながら見守っていました。その時です。どこから来たのか、どこから現れたのか、九つの頭を振り立てた一頭の竜が、濁り水の真ッ只中を荒波けたてて下へ下へと下って行くではありませんか、人々は身をすくめ目を見張ってボーッと立ちすくみました。 小半刻も過ぎて気がついて見ると、川の水が急に減っているではありませんか、人々は驚くやら喜ぶやら、やれやれこれで私たちの村も助かった助かったと、大声上げてやっと我に返って雀踊りして喜んだそうです。しばらくして誰いうとなくさっきの竜は神様が姿を変えてお助け下すったに違いないと……、その日の夕方、川下の村の土手がきれたそうだと伝え聞いた人々は、みんな手を合わせて神に深く感謝したそうです。 これが七月二十五日の事だったので島田の下宿では今でも毎年この日には、どこの家でも一人はきっと出て九頭竜講を盛大に営み、神の御恩に深く感謝をしています。(坂戸町高齢者学級編『坂戸の民話と伝説』島田 岡安忠次)

『坂戸市史 民俗史料編 I 』より