南埼玉郡菖蒲町小林に、江戸時代から明治になるまで、この地方の領主の教育係をつとめたといわれる「得斉さま」とよばれる家があります。江戸時代のおわり頃、漢方医だった得斉のところへ、ある雨のふる夜、若い娘が訪れてきました。娘は足のけががなかなかなおらないので、なおしてもらいたいと頼みました。得斉は娘のけがの手当をし、夜ふけはぶっそうだから昼手当に来るように話しました。ところが娘は、毎日夜ふけのきまった時刻にやってきたのでした。
そうして一〇日ほどたったある日、得斉はすっかりなおってお礼をいって帰っていく娘のあとをつけていきました。すると娘は野通川の細田橋の下をおり、大きなヘビの姿となって増水した野通川をゆうゆうと流れていくのでした。娘は、その下流の大きな沼にすむ沼の主だったのでしょう、ということです。