火事を消した竜

原文

むかしむかし、蕨の三学院に、運敬というたいそう立派な和尚様がいたそうな。運敬和尚は、徳のある人だったので、だれからも尊敬されていたと。運敬の名は、諸国に知られるようになったそうな。

やがて運敬和尚は、京都の智積院という格式の高い寺から迎えられ、住職として出向くことになったと。蕨の人たちは、運敬和尚と別れるのをさびしく思ったが、にぎやかに見送ったそうな。

運敬和尚が智積院の住職になって間もないある晩、

「目を覚ませ、すぐ起きろ。蕨の三学院が火事だ」

和尚の枕元で、どなるような大声が聞こえたと。和尚が驚いて目を覚ますと、そこには美しい女の人が立っていたそうな。

〝このような美女がどなり声を立てるとは?……〟と思いつつ、和尚が声をかけようとすると、美女の姿は、もう消えていたと。

〝これは、仏様のお告げかもしれない〟そう考えた和尚は、大声で叫んだそうな。

「たいへんだ。蕨の三学院が火事だ。急いで水を汲め!」僧侶が集まってくると和尚は、すべての手桶や空き樽に水を汲ませたと。和尚自身は本堂で、一心に火伏せのお祈りをはじめたそうな。

ちょうどそのころ、蕨の三学院では突然、ほんとうに火事が起こり、もう少しのところで本堂を焼かれてしまうところだったと。しかし、不思議なことに、三学院の仁王門に彫られている竜の口から、さかんに水が吹き出して、燃えさかる炎を鎮め、火は消えたそうな。竜の口から吹き出た水のおかげで、三学院の本堂は無事だったと。

蕨の三学院の火事の話は、すぐに智積院の運敬和尚に知らされたそうな。和尚は、

「あの晩、わたしの枕元で三学院の火事を知らせてくれたのは、美女に姿を変えた仁王門の竜だったのだ」

と、寺を訪れた人々に語り聞かせたと。

「京都にいて、蕨の火事を消すとは、さすがだ」

人々は、運敬和尚をますます尊敬したそうな。

市川栄一『中山道の民話』
(さきたま出版会)より要約