清蔵院の龍

原文

(1)清蔵院に左甚五郎作という龍がある。正門にとりつけたところ、死者の棺が門下を通ると、ふしぎにも棺の重さが軽くなる。そこでこれは甚五郎の龍のしわざだろうという噂が出、門下を通るものがない。よって院生は、西側の用水堀に土橋を掛け無常橋と名づけ、霊柩はそこを通らせることにした。その後檀徒の某がこれを不便として、龍を傷つければその危害が除けると信じ、門から取りはずして胴体を切り、釘づけとした。それからというもの、異変はやんだという。現に網におおわれている。(『郷土研究資料』一)

 

(2)清蔵院の山門の龍は、左甚五郎が日光へ行く途中に彫刻したものといわれている。葬式の時は、門をくぐると軽くなる。きっと龍に食われてしまうのであろうといわれて、龍には網をはり、釘でとめられている。別の門をくぐって葬式を出す。(『越谷市民俗資料』)

 

(3)清蔵院山門に、左甚五郎作といわれる龍の彫ものがある。この龍は額から抜け出して、付近の田畠を荒らしまわったので、農民の難をおそれた住職は、龍の眼に釘を打ち込んで両眼をつぶした。ところが、龍は、なおも田圃の中に四斗樽ほどの跡をつけて作物を荒らしまわったので、村人は以前にもまして困り抜いた。そこで、協議の末、かの龍を金網でかこんだところ、それからは狂暴が止んだといわれる。(『越谷市の史蹟と伝説』)

 

原題は「異変をおこす龍(その二)」

韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・中巻』
(北辰図書出版)より