一 ゴゼのおタケさん
むかし、むかし。
ササイ村には、大きな渕が、三つあった。
いちばん上流にあるのが、ベットウぶち。
つぎが、オフドウぶち。
さいごの渕が、タケガふち。
ベットウぶちの水は、つめたくて、つめたくて、ながく入っていると、体がしびれる。ひとかかえもある大ゴイが、渕のヌシだと、いわれとった。
オフドウは、ベットウから流れ出た川瀬が、クロス村よりの「ツイタテ」みたいなガゲにぶつかって、大きなウズが、三つも四つもできておる。ここのヌシは、頭が「コヤシザル」ほどの大ナマズじゃった。
タケガふちには、河童がすんでおった。その中の年よりの河童は、ヤナセ川のオマンダラぶちの河童たちまで、手下におき、武州河童のおやぶんだといわれていた。
この三つの渕に、ぐるっと、まわりをとりまかれたヤブが、シンデン山という丘で、昼でも、うすぐらいのであった。そんなわけだから、シンデン山のダイロクテンの草むらには、タヌキがひそんでおるとか、イナリバタケのキツネは、たいそうな、べっぴんに化けよるなんぞ、村の、ぢさまや、ばさまから、よう聞かされた。
あねさまよ
シマダゆうのも 今月かぎり
来月はマルマゲ 主のそば
二つマクラで イツノ夜具
ある年の、のどかな春の日。
シンデンにある大きな家の中から、シャミセンかかえたオタケごぜのうたごえが、かげろうのように流れておった。
春のお日まちが、たけなわなのじゃった。
あつまった村びとたち、思いがけない大ぶるまいをうけ、大よろこび。
「オタケさんの声は、いつ聞いても、すばらしいのう。」
「そうじゃ、そうじゃ。門づけのときもええが、今日みたいに、一ぱい、いただきながら聞かせてもろうなんて、ほんに、ほれぼれするわい。」
「まったくじゃわ。今日のオタケさん、まるでベンテンさまのようじゃよ。」
「なあ、オタケさん。わしらにも、ひとつ、ついでくれんかい。」
「おそくなったら、おらが送ってやんべえ。
だから、じゅうぶん安心して、知ってるかぎり、うたってから、かえらっしゃるがいい。」
「ふんだ、ふんだ。あらいざらい、うたわねえうちは、おら、家へかえらねえ。なあ、みんなが。」
「なんて、もったいない。
それなら、もう一つ、二つ。」
そんなことになったオタケさん、やがて、たんとお祝いをもらって、かえることになった。
さきほどから待っていた一人が、「おらもかえるから、いっしょにいくべ」といって、オタケさんのまえにたった。
「なあ、オタケさん。
目の不自由なおまえさんのことだ。根っこにでも、つまづいたらケガをする。おらが手をとってやんべえ。
なにも、はずかしがることなんて、ねえだよ。」
「この人は、なにするだあ、おためごかしに、わたしの手なんかにぎって。」
「ふん、そうかい。
そんなら、おら、お別れするだあが、道だけおしえておくべえ。
ほれ、いまオクッポウがないてる杉の木の下で、右へまがると近道だあ。ぐずぐずしてると、キツネが、たぶらかしにくるで。
じゃあな」。
オタケごぜが、いじわる男におしえてもろうた山道のさきは、ツルツルすべるナメのガケッタラ。
その下には、ビタビタッ、ビタビタッと、タケガふちの波がうちよせておった。
ザワザワ、ザワザワ、川風にゆすぶられたヤブッカサの音が、たえまもなく、つづいておった。
シンデン山をこえるのは、はじめてだったオタケさん、いくらカンがはたらくといっても、ごぜさんは目が見えぬ。
オタケごぜの姿は、その夜かぎり、ぷっつりと見えなくなってしもうたんじゃ。
二 ゴロウとおタケのたたかい
まもなく、夏がきた。
オタケさんのことなど、てんから忘れておったこの村に、つぎつぎ、あやしいさわぎが、おこった。
川のむこうの畑へ、クワつみにいったヨメさまが、深みへはまったって。
魚つりにいったクマキチんとこのセガレが、プッカリ浮いてたちゅうで。
わしが川っぷちを歩いてたら、だれかに足をつかまれ、引っぱりこまれそうになった。
おれも、きゅうに体が重たくなって、ようやっと岸に泳ぎついただ。
こりゃあ、きっと、あのオタケごぜのタタリにちがいねえ。
クワバラ、クワバラ。
タケガふちの、すぐそば、サグチという部落に、河童のゴロウという、水およぎの名人がおった。
三たび水にもぐると、三びきのコイをとらまえてくるという、世にもめずらしい魚とりの名人じゃった。
ところが、ところが。
その、河童のゴロウが、えものを入れておく、岸べのビク。水にもぐっているうちに、ビクの魚が、からになっておる。
「やっぱり、うわさどうりか。
オタケが、この渕の底に沈んでおって、だまされたウラミを、村のもんにかえそうとしてるんじゃ。
ようし。
おらだって、河童のゴロウって、いわれてる男だ。どこにかくれていようと、めっけ出して、二どと、いたづらできぬよう、みごと、こらしめてやる。」
口にヤッパをくわえ、大石を抱えたゴロウ、ドブンと、渕の底に沈んでいきおった。
大岩のかげ。
森のようなカワモの果て。
目をまわす大ウズのおく。
小半日も、もぐりにもぐった河童のゴロウが、最後に浮きあがったときじゃった。ユラユラと水面をすべって、カマクビをもちあげた大きな白蛇。
ゴロウめがけて、グアッとひらいた口の中に、いつかシンデン山で姿をけしたオタケごぜそっくりの、お歯黒がならんでおる。
「こらあ。
おまえだなあ。わしの魚をいたづらしたヤツは。
今日は、このゴロウさまが、相手になってやる。かくごしてかかってこい。」
たちまち、タケガふちの水面には大波がたち、黒雲がわき、雷鳴がひびきわたり、シノつくような大雨。
オタケの白蛇は、シュウ、シュウと、ウロコをならしながら、河童のゴロウにからみつき、巻きしめ、水の中へ引きこもうと、長い体を波うたせる。
ゴロウのほうも一生けんめい。もぐっては浮き、浮きあがってはもぐり、追ってはのがれ、のがれれば追すがり、抱きついてははらいおとされ、つきさしては、はじかれ。
とうとう、ゴロウの体にまきついたオタケ蛇。
その胴をねらって、二ど、三ど。
ゴロウのヤッパは、ハガネのような白蛇のウロコのあいだから、骨のズイまで、つきささった。
つかれはてた河童のゴロウが、水面に顔を出し、大きな息をはき出すと、いまのいままで、荒れくるっておった白波は、あとかたもなく、雨は、きれいにあがり、あの黒雲は、どこへいってしまったか、ぬぐったような夏の青空が、キラキラとかがやいておった。
三 ウナギがえしの井戸
そのご、白蛇オタケを見かけたという話は、ついぞ聞かなくなった。
河童のゴロウには、こんな話が伝わっておる。
ゴロウがオタケ蛇をっこらしめた、つぎの朝じゃ。ゴロウが顔をあらおうと、井戸のツルベを、たぐりあげると、ツルベの中にコイが泳いでおる。
つぎの朝は、ナマズが一ぴき。
そのつぎの朝は、ハヤが一すくい。
ゴロウの家の井戸は、それから何代もすぎたこのごろでさえ、取っても、取っても、魚がわいてくるという。
ある日なんか、ウナギが一ザルもとれたもんじゃから、「オタケさん、もうたくさんじゃよ」といって、タケガふちへ、返しにいったとやら。
なんでも、河童のゴロウが、生前、こんなことを、いっておったとか。
「わしにやっつけられたオタケ蛇、逃げながら、こういって、あやまった。ゴロウよ、わたしが、いたづらしたことは、わるかった。とった魚は、きっとおまえに返すが、わたしを、だました村びとは、にくい。どうしても、これだけは、忘れられないのじゃって。
わしも、そのとき、やっと、オタケの心もちが、わかった」。
弘化三年、村びとたちは、オタケのウラミをしずめようと、オタケが沈んだガケの上に、弁財天水神宮を立てた。ベンテンさまのように美しかったオタケに、この渕の神になってもらおうと考えたわけじゃろう。
こうして、オタケごぜのタタリは、すっかり治まったかと思われたが、土地を持っていた地主さまが貧乏したことから、宮の土地が売られ、シンデン山にうつされてしまった。
村びとが心配したとおり、この渕が、ふたたび村びとの生命をよぶようになった。みんなは、おそれ、おののき、釣の人は水に近よらず、川くだりのイカダのセンドウたちは、この渕を通るのを、きらった。
村びとの心が、みだれるのを心配した村長さまは、お宮をふたたび、もとのところへ、おうつしもうし、大祭をもよおした。近村の村々、三十四村から、三十四人のお坊さんをまねき、道の両がわに並んだ屋台店は、シノイカンノンの前までつづいたという。
このとき立てた石にはオタケごぜのウラミに、村びとがおびえたありさまが、くわしく書いてあるから、おいでのときは、ぜひ一ど、読んでみてくだされ。