鬼婆と蛇娘 埼玉県東松山市 昔、浄空寺の門前に鬼婆がいた。子供がないので岩殿観音に祈り、仁王門の下にあった卵を拾ってきて抱えて寝たところ女の子を授かった。娘は七歳になると家で寝泊りしなくなった。そして、朝にはいつも袖がぬれているので不思議に思って鬼婆が叱ると、娘は大蛇になって付近を荒らした。そこへ田村麻呂将軍が下向して大蛇を討ったという。(『川越市史』民俗編) 『日本伝説大系5』(みずうみ書房)より 題は独自に付けた。この話を見るにはまず、全く同根と思われる「蛇娘」の話が同じ舞台で語られることを知っておかれたい。そちらでは大仏(おさらぎ)という姓の老夫婦が卵を得、蛇となった娘は都幾川の主となり姿を消して幕となる。 これが、この鬼婆の話では、卵から生まれた娘は大蛇となって、あの岩殿における田村将軍の毒大蛇退治(「岩殿山正法寺縁由」)の蛇となったのだと語られている。 もともとこういった話だったのか、別の話がつなぎあわされたのか。普通に考えたら後者だろうが、現状そうつながった理由など全くわからない。二つの話を比べてみるに、大蛇と化す様子に若干異なるニュアンスがあるようにも見える。 ツイート