三分された大蛇と不鳴の池 埼玉県東松山市 昔、坂上田村麻呂将軍に退治された大蛇は、首・胴・尾と三つに切られた。首は岩殿の宿にある弁天さまの池に埋けた。胴は正法寺のすぐ前の小高い堂に埋けた。それを竜堂という。尾は石坂山に埋けた。(『坂戸市史 民俗史料編』) 坂上田村麿将軍が退治した悪龍の頭を埋めた池であるという。この池の蛙は鳴かないがもし鳴けば悪龍が現れるという。(東松山市高坂・『川越市史 民俗編』) 『坂戸市史 民俗史料編』『川越市史 民俗編』より 田村将軍に退治された毒大蛇(「岩殿山正法寺縁由」)は、またこのように三分されて葬られたともいう。話が採られたのは坂戸のほうのようだが、岩殿山下でも後段に付したように「不鳴の池」の伝説として語られる。石坂は岩殿からは南となる鳩山町石坂のことだろう。 首頭を埋けたという池は正法寺の参道をまっすぐ東北東にいった先、道が曲がる所にある弁天池・鳴かずの池で、今もある。もとは寺の閼伽池であり、弁天が勧請されたのは明治のことともいう。 しかし、この伝だけでは「なぜ蛙か」という点がわからない。おそらくこの点は、征夷譚であることと関係があるのじゃないかと思うのだが、現状何ともいえない。児玉のほうの田村将軍の大蛇討伐の伝にヒントがあるかもしれない(「がまの石」)。 ツイート