龍神さま

原文

児玉町の地名が起こる頃から小山川(身馴川)は夏の洪水以外、細々の流れか、水無川だったようです。そんな時代は今日も続いていてだれもが不思議に思う人さえ居りません。

昔のことです。沼上に近い児玉の町東にきれいな清水がありました。長い年月なにがあっても、泉は何も知らないようにきれいに澄んで、清水川の源になっていたそうです。

ところが、この清水池はこの地方に何か変事が起こる時は、必ず大きな蛇が人目につくまで池を泳ぎ回り、二十一、二日たつと水が必ず笹にごりになることから、誰いうとなく「蛇神さま」となり、近隣の村にまで「変ったことが起こるよ」と、知らせたほどの時代もあったそうです。

この蛇が、村人から非常に大切にされたもう一つの理由は、村の家でネズミが増えると、池端にあった大きな杉の木の所で、池に向かって、

「蛇さん、蛇さん、おらがのネズミを追っ払ってくんな。」

と、三度頼んで帰ると、七日たたないちにネズミがいなくなったためです。

ある年、春も日ざしの良くなった頃のことです。清水池のほとりに、昔からあった清水の家と呼ばれた家に遊びに来た年寄りが、茶飲み話で、

「蛇さまはこの頃、どうも年をとったらしい。」

と話しました。

「そうかい、そのせいでこの頃は水遊びをすることもしねえで、西土手の梅林で日中よく昼寝をしていなさる。」

「それじゃあ困るんだ。俺家じゃあねずみが増えやあがって、蛇神様のおでましを願わなくっちゃなんねえんでさあ。」

「それじゃあこれから、でっけえザマでも持って行って、じかに頼んでみたらどうだね。」

「そうかなあ、つれに来なくちゃあならねえとなると大変なことだぜ。」

と言い残し茶呑づれは帰っていったが、其の日の昼すぎには、

「頼みに来たが寝てますかな。」

「梅林の土手際へ行ってみなせえ。」

教えられるまま行ってみると、寝そべっていた蛇神様を見つけ、

「蛇神様、おらは二度程池にお頼みに行ったが、来てもらえねえんで今日はお迎えに来た。おらがのネズ公を追っ払ってくんねえかい。お聞き届けならこのかごに入ってくんな。おらが背負って行くから。」

と、頭のところにカゴを横にすると、うっとりしていたらしい蛇神様がノロノロと入った。

「蛇さまもたいしたもんだ。清水の隠居がいうどころか、まだまだ元気だ。」

と一人ごとを言いながら家に帰った。早速カゴから出してお願いしたところ、その家のネズミは、その夜のうちに一匹もいなくなったという。ところが、どこへ行ったのか、蛇はそれ以来、誰にも姿を見せなくなってしまったそうだ。

蛇の噂も消えかかったその秋、清水のおじいさんが急に足腰が立たなくなってしまい、八方手を尽くしたが、「痛い、痛い」のうめき声で、一家は眠ることもできない。便りを聞いた上州武士(たけし)の親類から見舞いに来た御嶽講の先達が、おじいさんの目をしばらく見ていましたが、一つお祈りをしてみようと座を立てて、ずい分と長い時間おがんでいるうち、

「国とこたちの命よりお告げであるぞ。」

とうめいた先達は、

「十条沼の大蛇が悪いことをして、坂上田村麿呂将軍に退治されたとき、ただ一匹、〈お前は自分たち一族が犯した悪業の罪滅しに生き長らえなさい〉と逃がした蛇が、今日までこの地方を守って来たにもかかわらず、昼寝をしただけで隠居しろなんて、勝手な者が出たのでは、この辺りにはもう住めない。俺は先祖の墓のある骨波田へ行く。俺たちの先祖を、もしこの屋敷に祀るならばたちどころに病をなおして進ぜようが、昔を忘れ自分勝手になったこのあたりには住みにくい。」

と、おがみは終った。居合せた人のささやきは、

「へえ、十条の大蛇が子孫を残して行ったのかい。たいした蛇だったんだなあ。えれえことになったもんだ、次は俺の番では大変だ。」

と、蛇を連れ出した年寄りも仲間に入り、親類縁者が集まって、さっそく氏神さまの隣りに龍王大明神の木札を建て、祀りこみました。七日目の頃になると灯明をあげられるほどに病気が良くなおって、この清水の隠居は百歳近くまで生き長らえたそうです。

この家に残る話は、いつの時代のことかはわからないが、龍王大明神として氏神さまと共に祀っている石油スタンドの奥さんは、先代のしきたり通り、十条沼の大蛇の子孫を私の家に祀ってあると信じ、この話をしてくれました。

田島三郎『児玉の民話と伝説・上巻』
(児玉町民話研究会)より