飯能の北川の杉の森の中に、小さな社がある。喜多川神社といい、妙見さまが祀られているという。妙見さまは大変に美しく、人々に平和と豊かな実りをもたらしてくれた。ある年の正月、その妙見さまがきれいな銭型模様の晴れ着をお召しになり、山かかしの蛇に姿を変えて社の外に出かけた。
茶目っ気のあるこの神様は、冬に蛇が出たと村人たちを驚かそうとしたのだった。ところが、大きな鶏に襲われ、元の姿に戻る間もなく、慌てて逃げようとして、ある家の門松で片目を刺してし、失明してしまった。村人たちはこのことを大変嘆き恐れ、それ以来鶏を飼うことと門松を立てることをやめた。
こうした風習は戦後まで続いていたが、戦後の食糧難になんとか鶏を飼うことができるように、とお祓いをしてもらった。それでようやく鶏を飼うことはできるようになり、生活も豊かになったという。
喜多川神社は今もあり、それはそれはもう山の中というところだが、このように妙見さんが女神であり、それが山かがしに変化した、という話が伝わっている。銭型模様の着物というのは、そのまま山かがしの模様のことを意味している。
この奥の秩父では、秩父神社の妙見さま(女神)が武甲山に棲む龍神(男神)と逢引きをするという話になっていて、これが周辺にフォーマットを提供していると思われ、ゆえにこのような話にもなる。
もっとも、妙見菩薩がまた竜蛇であるというのは、その信仰のあるところ各所にまま見られ、遠く房総半島の先端に運ばれた関東武者の妙見信仰の一端でも、蛟龍の姿をとっていたりする(「八尋石」)。
飯能のこの話は、より身近な山かがしの姿をとることといい、村里の禁忌の由来となっているところといい、妙見と竜蛇の感覚が民衆レベルにまで広く敷衍していたことを見て取れる事例といえるだろう。