滝之城の大蛇

原文

滝之城は八王子城の支城だったので、小田原が落ちるときに、滝之城も攻められた。ところが、滝之城には大蛇がいたので、どうしても攻め落とすことができなかったという。そこで敵方では一計を案じて、柳瀬川の向こうの下宿(東京都清瀬市)に舞台を造ってお神楽をあげた。それで、その場所は今でも舞台という地名になって残っている。大蛇は、お神楽があんまりにぎやかだったので穴から頭を出してそれを見ていた。そのすきをねらって、敵方の弓の一番上手な人が矢を射掛けた。矢は大蛇の首に命中し、大蛇の頭はふっとんで南永井の方に落ちた。それで頭の落っこちた場所を射頭(いがしら・南永井の井頭のこと)と呼んでいる。また、射られた矢は滝之城のそばに落っこったが、その場所は矢先(やざき・城の矢崎のこと)と呼ばれている。首をなくした大蛇は、新座市の大和田の方にある深い沼地へはっていって、そこで動けなくなって野垂れ死んだ。そこで、その場所を頭無(かしらなし)と呼ぶようになったという(男性 明治四四年生 坂之下出身)。

『所沢市史 民俗』より