荒川の河童

原文

やせこけた五十なかばの彦兵衛は、ふらつきながら贄川の宿から高橋沢まで来た時、身体がもちこたえられなくなって、くずれるように倒れ込んでしまった。 ちょうど通り合わせた村人が自分の家に連れ帰り、近所の人達も介抱に加わり手厚い看護をしてやったおかげて彦兵衛は一命を救われ、人々の真心に強く心をうたれた。 彦兵衛はなんとか村人達に恩返しをしようと考え、村人に幸せを呼べるよう、山にこもって三百六十五日間の願かけ修行を始めた。

しかし修行は厳しく途中で何度も挫折しそうになり、その度に彦兵衛は心にムチ打ち、歯をくいしばって耐え抜き頑張った。

満願の日が近づくころには彦兵衛はもう仙人になりきっていた。でも三百六十五日たっても神様からは何のお告げもなかった。「この世には神も仏もいないのか」という思いがよぎり、彦兵衛は長い間の疲れが重なり、ついにその場にへなへなとくずれおちてしまった。

その時、白髪で長い杖を持った神様が現れ、

「彦兵衛、村人達の幸せを願い続けた三百六十五日、よくやり遂げた。これより荒川源流の水をもって身を潔めるがよい。村人達に幸せをもたらす神の使者に出会うであろう。夢々疑うでない」

彦兵衛はその声にハッとなって目覚め、お告げに従い身を潔めたあと、口をすすぐ水を手のひらに汲みとった。するとその時、手のひらの水が金色に輝き、二つの泡がはじけて可愛い河童の兄弟が現れた。

彦兵衛は河童の兄妹に名前をつけ、ここの村人達が少しでも幸せになるよう言い聞かせて、空の彼方へと消えて行った。

ある日のこと、河童の兄妹が川で溺れかけている村のこども二人を助けたことがあった。ところが村人は河童がこどもに悪いことをしていると勘違いし、河童の兄妹にひどい仕打ちをしようとした。河童の兄妹は村人がなぜ自分達を憎むのか、その心がわからず悲しかった。

それから何日かたち、村の空には黒雲が立ちこめ、あちこちで家畜や犬がしきりに騒ぎだした。

これは大雨の前触れではないかと悟った河童の兄妹は、危険を知らせるために村の家々を走りまくった。しかし河童は魔物と思い込んでいる村人は、誰も信じなかった。そのうち荒川の水は土手を切り地上へと溢れだして、田畑や家にじわじわと迫ってきた。

その時、河童の兄妹が勢いよく黒い雲に向かって飛び上がった。兄妹は黒い雲の中で暴れる龍神に体当たりをくらわせ、龍神を荒川の淵へと退散させた。

やがて大雨はおさまり、村も押し流されることなくすんだ。こうして村も村人達も河童の兄妹によって救われた。村人達ははじめて自分達が間違っていたことに気がついたのだった。

秩父市教育委員会『秩父の伝説』より