荒川の河童

埼玉県秩父市

彦兵衛という男が高橋沢へ来て行き倒れてしまったが、村人の手厚い看護のおかげで一命をとりとめた。その真心に強く心をうたれた彦兵衛は、村人に幸せを呼べるよう、山にこもって三六五日の願かけ修行を始めた。

一年が過ぎ、彦兵衛は仙人になり切っていたが、神からのお告げはなかった。思わず崩れ落ちた彦兵衛だったが、その時、白髪の神が現れ、荒川の源流で身を潔めよ、そこで神の使者に出会うだろう、と告げた。彦兵衛がそのようにすると、泡がはじけて可愛い河童の兄妹が現われた。彦兵衛は河童の兄妹に名前をつけると、村の幸せを助けるよう言いつけ、空の彼方に消えた。

そこである時、河童の兄妹は川で溺れかけた村の子を助けた。ところが、村人達は河童が子に悪いことをしたと思い、ひどい仕打ちをした。河童の兄妹はなぜ村人に憎まれるのかわからず悲しかった。

その数日後、黒雲がたちこめ、村の動物達が騒ぎ出した。大雨の前触れとさとった河童の兄妹は、必死に村を走り回って危険を告げた。しかし、これも河童を魔物と思い込んでいる村人は誰も信じず、何の手も講じないままに荒川の水が溢れ村に迫ってしまった。

その時、河童の兄妹が黒雲に向かって飛び上がり、雲の中で暴れる龍神に体当たりをくらわせ、龍神を荒川の淵へと退散させた。こうして大雨はおさまり、村は押し流されることなくすんだ。村人達はようやく自分達が間違っていたことに気づいた。

秩父市教育委員会『秩父の伝説』より要約

果たして河童に神使いの側面はあるのか、という問題がある。数多くの河童は人や馬に悪さをするばかりで、精々がとっ捕まって命乞いの後に秘薬を残すくらいである。無論神使いは人に都合の良い「福」ばかりをもたらすわけではないが、そちらの面もないと頼りなくはある。

そんな中に、こうしたけなげな神使いの河童の伝説がある。全体の結構としては役行者の遺す前鬼後鬼の伝説に近くあり、あるいはなにがしかの一族の起源を語ったものであったかもしれない。

いずれにしても、村人に誤解されひど目にあわされながらも、村の幸せのため龍神に立ち向かう河童の兄妹というのは、指折りの劇的な展開だろう。荒川の源流部にはそういう河童もいたのだ、と思いたい。