普寛行者の生家にお万という一人娘がいた。ここに夜な夜な通う青年があったが、お万は聞き入れなかった。青年の正体がわからないので、ある時髷に糸を通した針を刺し、たぐっていった。すると、落合を流れる荒川の渕に着いたが、そこでお万はなんとなく沈められてしまった。
家の人が心配して探すと、淵から人間が浮かんだ。どこの男とも女ともわからない人間で、どこからともなく声が上がった。曰く、娘は淵に入り、再び帰らない、と。その代り、お宅の願いごとはこれから先なんでもかなえよう、と声は言った。
その後、何かほしいものを紙に書いて淵に浮かべると、必ずその品が浮いてきたという。しかし、間違って返さなかったことがあり、それから願いは通じなくなったそうな。
大滝町落合。普寛行者は木曾御嶽王滝口を開いた行者であり、両神の秩父御岳山を開いた人だともいう。落合には普寛神社があるが、そこが生家だったといわれ、まさにそこの伝説となる。
家の話というだけでお万と普寛行者の関係は不明だが、なんとも不思議な話といえる。蛇聟から椀貸しの話といったらそうだが、「なんとなく沈められてしまった」とか「どこの男とも女ともわからない人間」とか気になる表現が続く。
ただ、やはり「なぜその家の主はそういった膳椀を借りる経路を持っているのか」を語るという点では、淵の主に嫁いだ娘が昔いたから、というのは多くある話の型ではある。県下に多い他の椀貸しの話は「椀箱沼」から追われたい。