姥神

原文

秩父線日野駅と白久駅とを結ぶ線路に並行する旧街道の路傍に、姥神社が祀られている。ささやかな石宮である。祭神は畠山重忠の姥であるという。

秩父の山間で語られている重忠は、大血川の太陽寺の開山鬚僧大師と信州諏訪湖の大蛇の化身である妙齢の婦人との間に生れた。

鬚僧大師は、その妻が大蛇の化身であるのを知ると、その子を不浄のものとして、大血川に捨ててしまった。これをみた姥は、不憫におもって拾いあげ、おんぶして畠山までおくり届け、大きくなるまでその面倒をみた。

姥は重忠が成長すると、安心し、かつは故郷恋しく、再び大血川に向って戻って来たが、その途中日野の馬立でなくなった。村人はこれをあわれみ、祠をたててこれを祀ったという。これが姥神社である。同社は最近まで詣でるものが多かったという。(話者:秩父郡荒川村日野一一八三 新井四郎氏)

 

重忠誕生の伝説については、筆者は『埼玉の伝説』に次のように記した。

「重忠の母は相模の三浦大助義明の女であるが、伝説の重忠の誕生はいささかこれと異なっている。それによると、三峰山大血川の太陽寺の開山鬚僧大師のもとに、ある日みめうるわしい妙齢の婦人がたずねて来て住むようになった。太陽寺は杣人でもめったにくることのない山峡の山寺である。いかに聖僧といわれた大師のことでも、人里離れた男女二人の生活であってみれば、彼の女が大師のたねを宿すようになったのも、当然の運びであったのかも知れない。

ところが彼の女は、夫婦のちぎりを結んでもその身上については一言も語らなかった。それもそのはず、彼の女は実は信州諏訪湖の大蛇の化身であったからである。やがて月満ちると彼の女は「七日の間私の姿をみてくださいますな」といって産室にはいったが、大師は待ちきれず三日めにのぞくと、そこには蛇身をあらわして、分娩したままのみにくい女の姿があるのであった。大蛇は大師が約束を破ったことを恨み「生まれた子はまさしく人間ですから育ててください」と言いのこして、信州諏訪の湖へもどってしまった。しかし大師は不浄であるとしてこれを荒川に捨ててしまったが、こどもは流れ流れて畠山庄司に拾われ、これが成長して、後に武名をとどろかした畠山重忠になったというのである。

分娩後三日めにその子が大師にみられたので、重忠はこれがもとで、三日先のことがわかる超人間的な才能を持つようになったのだといわれている。(神山弘『ものがたり奥武蔵』)

なお武甲山の東麓に生川(うぶかわ)という流れがあるが、この生川の名は、重忠の母が懐妊したとき、この川の神にりっぱな男子の生まれるように祈ったことから、その名も生川と称するようになったといわれている」

韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・中巻』
(北辰図書出版)より