忍沼には“沼のぬし”の大蛇がいたということを、昭和初期まで町中の人は信じていた。沼の太い葦が、〝ぬし〟が通ったあとは皆倒れているとか、沼の中で魚とりをしていたら、〝ぬし〟が出て、生命からがら逃げてきたとか、諏訪神社の〝ぬし〟の白い大蛇に会ったとか、話はつきない。
対象一〇年、忍町尋常高等小学校の大校舎が建てられるとき、忍沼を埋めたてたので〝ぬし〟の大蛇を一緒に埋めてしまった。だから、小学校の遠足、運動会には必ず、雨が降るといううわさは〝ぬし〟のたたりだと町中の人が信じてさえいた。特に昭和四年、講堂の西に奉安殿を造ったとき、土台の松杭を打ったために〝ぬし〟をつぶしてしまった。だから怪我人が出たのだとか。その後は、運動会、遠足のどちらか必ず雨が降るのは〝ぬし〟の大蛇のたたりだといわれた。
忍町尋常高等小学校の後裔がタイトルの中央小(市立中央小学校)。市役所や産業文化会館など、今の水城公園の北側の地が、その忍沼(おしぬま)であった。
そして、このヌシの大蛇が忍城水攻めの際に石田三成の堤を破ったというのだろう(「お城の大蛇」)。諏訪神社は今も本丸跡に鎮座されている。