浅間社のぬし

原文

浅間社は、明治四十二年神仏分離により氷川神社に合祀されることになった。その時御本殿を舟に移しこれから出立しようとしたところ浅間社の御手洗池のぬしと言われる蛇が、舟にからみついてなかなか離れようとしなかった。そこで神主が

「今はまだお前の居所がないが、あとで居所をこしらえてから、お前を迎えにくるからそれまで待っていろ」

とおがみあげたら蛇はいずこともなく立ち去っていった。

その後、浅間社の御手洗池の周りの地所が空いていて、あそばしておくのは勿体ないから、誰かここにつくらないかという神主のすすめで、この地所にふじの花などをつくった人がいた。ところがこの人が、どうしたわけか三年後にポックリ亡くなってしまった。そのあとを引きついだ人もまた三年後に同じように亡くなった。

そこでおかしいというので神主が心配して調べてみたら、御手洗池の主の蛇が自分の行きたいと思う所につれていって貰えないので、三年ごとに人の命を貰っていたことがわかった。それでは大変だということになり、神主が氷川神社の裏に蛇の住む所をこしらえてやり、その蛇をつれていった。

それ以来、蛇のたたりはなくなったという。

白石敏博・岡田博『鳩ヶ谷の民話』
(鳩ヶ谷郷土史研究会)より