浅間社のぬし

埼玉県川口市

浅間社は明治の神仏分離により、氷川神社に合祀された。その時、御本殿を舟で移そうとした際、浅間社の御手洗池の主という蛇が、舟にからみついて離れなかった。そこで神主が、お前の居所はこしらえてから迎えるから待っていろ、と拝みあげたので、蛇は立ち去った。

ところがこのことが忘れられ、御手洗池の周りに藤の花など作った人がいたが、この人は三年後に死んでしまった。後を引き継いだ人も三年後に死んでしまった。そこで神主が調べると、御手洗池の蛇が、行きたい所に連れて行ってもらえないので三年ごとに人の命を奪っているのだとわかった。

これは大変ということになり、神主が氷川神社の裏に蛇の住む所をこしらえてやり、蛇を連れていったので、それから蛇のたたりはなくなったという。

白石敏博・岡田博『鳩ヶ谷の民話』
(鳩ヶ谷郷土史研究会)より要約

かつての鳩ケ谷市内、坂下町の浅間山(塚)の浅間さんの話。話のように、鳩ヶ谷氷川神社に合祀され、公的にはそのままだろうが、今また現地にも小さな社が再興されている(単立)。伝説の蛇の棲みかが実際どうあるのかは不明。

浅間さんの御手洗池のヌシの蛇なのであって、直接浅間さんの蛇だといっているわけではないが、その本殿の移動を遮ったあたりほぼ同体だと見てもよいのじゃないかと思う。

坂下町の浅間さんでは、かつて「じゃの口」という麦藁製の銭入れ(ガマ口の一つ下なのでじゃの口なんだそうな)が売られており人気だったともあり(同資料)、蛇の御幣を出していた江戸の浅間文化の一端という感もある。