見沼弁天

埼玉県川口市

内野村の百姓蓮見左之次郎が馬を引いて帰る途中、千住大橋の渡しを越えたところで一人の若い女に出逢った。女は、見沼の方に行きたいが難渋している、馬に乗せてほしいと頼んだ。左之次郎が女を馬に乗せ、見沼の三弁天の一つ、山口の弁天までくると女は降りた。女は、礼に紙に包んだものを出し、けっして中を見るなと言って去った。馬を見ると相当重い荷でも運んだように背中は汗で濡れていた。家に帰って紙包みを開いてみると、二銭銅貨くらいの大きさの蛇の鱗が二枚入っていた。後日、左之次郎からこの話を聞いた村人は、見沼開発後、印旛沼に移ったといわれた主の大蛇がなつかしくなって帰ってきたのだろうとうわさしたという。

『川口市史 民俗編』より

そもそも、かつての見沼周辺に続々と構えられた弁天は、見沼の竜蛇が去った、その怨みを鎮めるべく建てられたのだといわれる。帰ってくる弁天の話は、干拓後の話でなければならないのだ。