川越築城

原文

太田道真、道灌父子が、川越城を築くにあたっては、一つのうるわしくも悲しい物語が秘められている。川越城は三方が水田で泥が深く、殊に南にあたっては七ツ釜という底の知れない渕があるので、築城に必要な土塁がなかなかでき上らなかった。これにはさすがの道真父子も弱ってしまった。

ところがある夜、竜神が道真の夢枕にたって、「この地に築城することは人力のよくするところではない。どうしても汝が築城しようと思うならば一つのよい方法がある」と告げた。道真はこれをきいて非常に喜び、「そのよい方法と申すのは」とたたみかけてたずねると、竜神は、「汝が人身御供をさし出せば、必ず神力によって速かに成就するであろう。それには、明朝一番早く汝のもとに参ったものをわれに差し出すのがよい」という。

道真は事の意外なのに驚き、かつ不審におもいながら、明朝のことを考えていると、この時道真の頭をかすめたのは、毎朝だれよりも早く自分のところに尾を振って来る愛犬の姿であった。道真はふびんではあると思ったが、築城のためにはやむをえない。そこで道真も愛犬をぎせいにするよりほかにないと心をきめたのである。「承知いたしました。仰せの通り明朝わたくしのところへまっ先に来たものを、必ずぎせいとしてさし上げます」と道真は竜神にかたい約束をしてしまったのである。

やがて夜が明けた。道真は昨夜のふしぎな夢のことを思い出し、竜神にさし出す愛犬があわれでならなかった。しかし築城のためには約束を果たさねばならないので、心のくるしみをおさえつつも愛犬のくるのを待った。

ところがどうしたことか、今朝に限っていつもくる愛犬がやって来ない。しかも突然あらわれたのは愛犬ではなくして、彼の最愛の世禰姫(よねひめ)のつつましやかなその姿ではないか。さすがの道真も失神せんばかりにうち驚き、姫のやさしい挨拶にも答えることもできず、ただ眼に玉の露を宿すのみであった。

姫は父の前へつつましく両手をつき、昨夜みた夢をこまかに語るのであった。それは不思議にも父道真がみた夢と同じであったのである。姫はすでに心に堅く期し、城のため、人びとのために、自分が犠牲になろうと、いつもより早く起きて来た次第をのべ、あくまでも犠牲になることを父にお願いするのであった。

いかに築城のためとはいいながら、わが最愛の娘を竜神のぎせいにすることは、親としてできることではない。たとえ竜神がどんなに怒ろうとも、できないのが親の情である。しかし娘の決意はかわらない。

ある夜のことである。憂いに寝もやらぬ父や家人の目をしのんで、館を出た姫は、あわれにも、城の完成を祈りながら、ついにかの七ツ釜に身を投げて果てたのである。この貴いぎせいによって、まもなく川越城は完成されたのであった。(「川越城七不思議人身御供」『川越の伝説』第一輯・韮崎一三郎『埼玉の伝説』

韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・中巻』
(北辰図書出版)より