霧吹きの井

原文

『郷土研究資料』は「霧吹きの井」について、「川越城が平野にあったために、築城した太田道灌の知謀から、地勢を察して霧吹きの井戸をつくって士気を鼓舞した。この霧吹きの井戸の蓋を開くと、限りなく霧が立って、城も町も皆霧で隠れてしまう。ということを城中に知らせた。敵が如何なる手段によって攻めても、この霧隠城は落ちないということを信じさせて士気を鼓舞した。それより後、上杉・北条の戦に一年三年という籠城があったが、如何なる手段によっても、落城することがなかったという」と記している。

さらに同書は井戸の位置については、「川越城内の蓮池御門の東南の方にある」と記しているが、その拝観についても、「昔は、天神様から細道を行き、新郭門を通って拝観に行った。町人は、毎年二月二十五日の天神様のお祭の時だけしか拝観できなかったといわれ、両側に白い幕を張って役人がついて居て、通る人をしらべたということである」とも記している。それを歌った歌に、

 ここはどこの細道じゃ。天神様の細道じゃ。少し通せてくださんせ。ご用のないもの通しません。この子の七ツのお祝に、お札を納めに参ります。豆どん豆どん、豆どん豆どん豆どん豆どん。

というのがあった。

霧吹きの井は旧位置から移され、現在は初雁球場の北側、市農業センター内の一画にある。されば新しいものである。蓋はもちろんされている。

霧を吹くのは「ヤナ」という怪物だと記したのは『遊歴雑記』である。同書では「川越城の三芳野天神の下の外濠は伊佐沼の水と続いている。この泥深い堀の主は、なんだか知らないが「ヤナ」という怪物である。川越城が危機に際し、敵兵が搦手の堀まで追って来る時には、忽ち霧を吐き雲を起し、魔風を吹かせて四方を暗夜とし、その上洪水を氾濫させて、寄手に方角を失はせるという話である」と記している。(十方庵『遊歴雑記』三編巻之下)

韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・中巻』
(北辰図書出版)より