昔、この辺一帯は大きな湖であったが、仙芳仙人が湖の主の龍神に会って、自分の袈裟がおおうだけの土地をもらう約束をした。仙人が袈裟を投げると湖はみるまにおおわれてしまい、土仏を投げるとたちまち湖は陸地になってしまった。龍神が自分の住む所がないというので小さな池を残した。それが龍池でそばに弁天さまがまつってあるので、弁天池という。
この話は慈覚大師の開基という喜多院(川越大師)のまた一方の創建伝説。市史では「弁天池」のタイトルの元に関係話がまとめられているが、ここでは別の名にした。
弁天池(仙芳仙人の沼・双子池)にまつわっては、「山内禁鈴」の不思議が語り継がれており、竜の残した池という意味では二人の竜女が登場する話が大きく関係するところなのだろう。
もともと竜神の住まう大池だったところが、開基の僧に竜神がその地を明け渡すと、すぐさま水が引き伽藍がたつというのは、大寺の縁起にまま見える(「八尋石」など)。
喜多院のそれはだまし取るようなニュアンスも見えるところだが(それを法力ととるならそうだが)、埼玉県下にもそういった寺の縁起はあちこちに見える。いずれにしても、喜多院とは竜蛇と縁の深い寺ということではある。