蛍の御殿

原文

昔、見沼のほとりに、笛の上手な小笛という名の少女が住んでいた。ある初夏の晩のこと、小笛が笛を吹きながら、見沼のほとりをさまよっていると、遙か向うからも、こちらと同じような笛の音が聞えてくる。小笛は、「こだまかしら」と思い、こちらがやめると、向うの笛の音もやむのだが、笛の音は次第に身近くなってき、そのうち小笛はあわや古井戸へ落ちるところだった。そして耳をすますと、笛の音はその古井戸の中から聞えてくるようであった。こわごわ小笛が古井戸をのぞきこむと、幾百幾千とも知らぬ蛍が、笛の音につれて、飛びかっていた。小笛がその美しさに息をのんでいると、一匹の大きな美しい蛍が飛び出して来て、あたかも小笛を手招き案内するように高く低く飛んで行くのであった。

「あなたは蛍のお姫さまでしょう。美しい笛を吹いていたのはあなたでしょう」

小笛はその蛍を追いかけた。夢幻のうちにどのくらい歩いたであろうか。やがて小笛の前の竹やぶの中に美しい御殿が建っていた。小笛がみとれていると、一人の侍女らしい少女があらわれて、

「さあどうぞ、こちらへおいでくださいませ。先き程からお姫さまがお待ちしております」といって、御殿の中へ案内してくれた。

そしてお姫さまは、見沼の蛍のいわれについて話しはじめた。

「わたくし達は、昔ここにあった城に住んでおりましたが、戦さに負けて一族の男達はすべて討死にしてしまい、私達は見沼に身を投げて相果てたのでございます。しかし、見沼の竜神が私達を哀れんで、蛍に変身させ露の命を与えてくれました。蛍になっても私は大好きな笛を吹いていますが、許されているのは、光り始める前のわずかな間だけなのでございます」

小笛はお姫さまの哀しそうな顔に、おもわず貰い泣きしてしまいました。小笛が帰りかけると、お姫さまは、

「わたくし達の霊を慰めてくださる人は誰もおりません。わたくし達の後世のために、村に帰ったら、供養をしてくださいませんか」と、小笛に頼むのであった。

村に帰った小笛は、村の人達にその話をして、大和田に蛍の供養塔を建てたという。

しかし、今はその供養塔の位置もはっきりしない。

大宮市大和田(藤沢衛彦「伝説と歴史」・韮塚一三郎『埼玉の伝説』)

韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・上』
(北辰図書出版)より