見沼の主の笛

原文

見沼がまだ溜井ともつかぬ大きな湖沼であった頃、大砂土から与野町にかけて、夕暮時に笛を吹いてさまよい歩く美しい女があった。この笛の音を聞きつけた村の若者は必ずみせられるように笛の音のする方へ進んでいった。そして、笛の音に誘われて行った若者は一人として帰って来なかった。村人は心配のあまり寄合を開いた結果、これは見沼の主が若者を人身御供にとるのであろうとの話になり、沼のほとりに塔をたて供養会をした。今、魔除けの神といって、大和田の辺にたっている塔がその時の供養塔といわれている。この話はさらに発展して興味ある伝説となっている。それは、この怪異が都まで聞こえると、一人の武士がその正体をたしかめるために見沼まで下ってきた。笛の音を聞きつけた武士が美女に切りつけると、一陣の暴風がおこり豪雨が雷鳴とともに降りそそいだ。翌朝、そこには一本の竹の笛が落ちていたという。この笛を納めたのが、大宮市大和田の鷲神社だとも、片柳村中川の氷川神社であるともいう。それから数年後、一人の老婆が社を尋ねてきて笛を見せてくれと頼んだ。やむなく神官が許すと、老女はみごとに笛を吹きはじめた。神官はねむけを催し、やがて眼がさめると老女の姿も笛も見えなかった。人々は、笛の主は見沼の化身ではないかとうわさしあったという。(『埼玉の伝説』)

『日本伝説大系5』より