見沼のいもり

埼玉県さいたま市大宮区

見沼は遠い昔は「いもり沼」と呼ばれるほどいもりが沢山棲んでいた。

昔、この沼のほとりに父母のいない美しい娘が住んでいた。見沼をはさんで対立する豪族の息子同士が、同時にこの娘を恋して争った。結局、一人が勝利者になり、恋に敗れた若者は、口惜しさのあまり娘を盗み出し、大きな箱につめて見沼に投げ入れた。

翌日その箱を開けてみると、娘の死骸はなく、沢山のいもりがぞろぞろ出てきたので、若者は驚いて気絶してしまった。この話を聞いた里人は、娘は見沼の主の竜神の子であったろうと噂し合ったという。

『大宮市史 第五巻』より

二人の男が娘を取り合う、娘が死ぬことでその争いに幕が引かれる、というモチーフが、真間の手児奈このかた関東ではよく語られる。スケールは神々の争いから人の世のいざこざまで振幅を持つ、とみれば、日光赤城の神争いや、東北三湖伝説までもつなげて見ることができるかもしれない。

見沼の周辺には、虎女(相州大磯の虎御前とは別の)を巡る争いの強烈な話があるが、見沼そのものにもこういった話がある。虎女も見沼の竜女も、それが水神に仕える巫女だった、と見るならば、近い話であるといえる。