お仙ヶ淵

原文

昔むかし、乙父沢の庄屋様の家に、仙というそれは美しい娘が奉公に上がっておりました。働き者の仙は、庄屋様の家族を始め、村の人々からとても可愛がられていました。けれども、仙の素性を知る者は誰一人としておりませんでした。仙はそのことに話が触れるたびに、その美しい顔を曇らせました。

ある日の事、庄屋様の家に偉いお役人様が立ち寄るとの知らせがありました。庄屋様はこの人達を取り持つため、日頃大事にしていた拝領の膳椀を取り出しました。それを見た仙は、その素晴らしさにびっくりしました。膳椀にはなんと、金蒔絵が隙間もないほど施されていたのです。

「お役人様にくれぐれも失礼のないようにな……」

庄屋様は、みんなにそう言い聞かせました。やがてお役人様がお着きになり、いよいよごちそうが運び出される時となりました。お勝手の女衆があわただしく動きはじめ、仙もそれに習いました。そしてごちそうが並べられた膳を手に仙が立ち上がった時でした、その膳は無情にも仙の手から離れてしまいました。仙が顔色をかえて騒いでみても、壊れた膳はもとには戻りませんでした。

日頃やさしい庄屋様も、この時ばかりは仙をきびしく叱りました。仙は自分の罪を悔いながら、近くの淵に身を投げました。

その時仙が言いのこした言葉がありました。それは「もし何かの寄せ事で、お膳やお椀が必要な時は、淵辺に立ってその数を言って下さい。明くる朝にはきっと、淵に浮かべて置きます。ただし用が済んだら、もとのように淵に戻して置いてください」との事でした。

それからの人達は、事あるたびに淵べに立っては仙にお願いし、ずいぶんと重宝していました。よって、人々はこの淵の上流で汚いものを決して流さない事を誓い合い、誰いうことなく「仙が淵」と呼ぶようになりました。そして、仙をこの淵の主として崇めました。

何年かが過ぎたある日の事、ついうっかりした女の人が、身の汚れ物を洗い流してしまったのです。すると、突然なまぬるい風がザワザワとあたりの木の枝を揺らしました。そしてそれまで雲一つなかった空がにわかに曇り始め、垂れ込めてきた雨雲が、この地域一体をすっぽりと包んでうす暗くしてしまいました。

やがて、物凄いいなびかりとともに雷鳴がとどろき、すさまじい暴風雨となりました。乙父沢の人々は、雨戸を閉め、「カヤ」(夏、蚊を防ぐため部屋に吊す道具)の中に入り込むと、身を堅くして雨の上がるのを待ちました。

しかし、夜になっても風雨は収まらず、濁流と化した沢の水は、大きな石を押し流すまでに増えました。そんな中、激しい雨足の合い間を縫うように、「ピーヒャラドンドン ピーヒャラドンドン」と、笛太鼓の音が聞こえてくるではありませんか。

「はて……」不思議に思った村人は、おっかなびっくり雨戸の隙からその音のする方を見て、おもわず驚きの声を上げました。それもそのはず、丸太ほどもある大蛇が、鎌首をもたげその巨体をくねらせながら、激流の中を川上に向かうところでした。

そんな事があってからというもの、淵に膳や椀の浮いてくる事は、二度とありませんでした。

村人たちは、仙が大蛇の化身であった事に初めて気付きました。そして、「仙はきっと里の近くのあの淵で、みんなの暮らしを見つめていたかったに違いない。可愛そうなことをした」と口々に悔やんだと言います。

仙は、上流にあるもとの棲家「メドウ淵」に移り、今でも淵の奥深くその巨体をじっと潜ませているとの事です。(乙父)

『上野村誌V 上野村の文化財・芸能・伝説』より