お仙が淵

原文

乙父沢(おっちざわ)にゃ「お仙が淵」ってゆう深い淵があるちゅうね。昔からこの淵にゃ主がいるっていわれたんだと。村の人は、淵の主にワルサ(悪いこと)をされちゃ困るから、川っ淵の木を切って淵に投げ込んで主を追い出すべえとしたんだと。そんとき、淵の中で声がした。よく聞くと「そんなことをしないでくれ、ここへ置いてくれりゃ何でも願い事をかなえてやるから」とゆってたと。イトオシイ(かわいそう)から助けてやるべえ、ってゆう人がいて、みんなは相談して、ご祝儀や葬式なんかの人寄せんときに使うお膳やお椀が無くって、そんなときは、大尽の家から借りて使ってたから、それを出してくれれば置いてやるべぇと決めて、淵に向かってジナッタ(どなる)と。それからは人寄せんときお膳お椀を十五人前とか二十人前とか「おたの申しますぃ」って頼んどくと、沢の砂の上にちゃんと置いてあって、みんながうれしがって使ってたんだと。

そんなことを忘れたころだちゅぅ、器量のいい娘のお仙のとこへワキャァシ(若者)が毎晩あすびにくるようになった。おっかさんが「どこの人だぃ」ってシンピャァ(心配)して聞いても娘は、「シラニャァ(知らない)」っゆうだと。おっかさんな「男がキャァルトキ(帰るとき)長い機織りの糸を通した針を付けてやれや」って娘にゆったと。

その糸を辿ってぐと糸は、主がいる淵に消えてた。男はばったり来なくなり、お膳お椀を頼んでも出なくなった。お仙は子を生んだがそれは蛇の子だった。お仙は世をはかなんであの淵に身投げして死んじまったんだと。それっからこの淵を「お仙が淵」ってゆうそうだぃ(上野村乙父・勝山)。

土屋政江『多野・藤岡の蛇の話』より