昔、上黒岩の地下に大蛇が住み時々大暴れし、大雨を降らせ崖崩れが起った。人々は何代にもわたりこの大蛇に悩まされた。たまたま天保三年にまた集中豪雨で崖崩れがあった。土地の人々がその場へ行ってみると蛇骨が崩れた所から現われた。当時土地の人々は、この蛇骨は「蛇が竜になり天へ昇った。その抜けがらだ」と信じた。発見当時、七日市の前田藩の江戸屋敷へ運ばれ、その後、蛇宮神社へ運ばれた。(上黒岩)
市史民俗編の地名の稿にあり、「蛇崩観音」が地名なのだと思われるが、今の地図には見えず不詳。上黒岩打越地籍らしい。以下に見るように一帯には「蛇崩」の小地名が並ぶが、大島のほうのそれが「じゃくい」と読まれており、その読みかと思われる。
蛇宮神社は七日市に鎮座されるが、寛政九年に打越で発見されたというオオツノシカの化石が蔵されていた(県指定天然記念物)。寛政と天保の差があるが、化石も大雨崖崩れで見つかり、前田家に献上されたのち蛇宮神社に納めれらたとあり、これがおそらく話の蛇骨のことだろうと思われる。
このあたりは黒岩に限らず、蛇崩の小地名が複数見える。蛇地名は各地に多いが、狭い範囲に並ぶというのも珍しいので、追っておこう。まず、蛇宮のある七日市から鏑川を南に渡って少し下流の下高瀬にも蛇崩があり、大蛇がいたという(「蛇崩」)。
また、鏑川を遡ると、大島・神農原があるが、この内に蛇崩の小地名がある。地名というか、鏑川右岸の露頭を土地でそう呼んでいたということらしいが、これはさらに上流部の「蛇の井」との関係が語られる。
よほどたびたびの大雨崖崩れに悩まされた土地であったらしい。そう思って蛇宮神社を振り返ると、境内には「龍の爪かき石」なる凹みのある石もあった。あるいは信州でいう竜磨石・剣磨石の一種であったのかもしれない。それらの石も竜が昇天する際発生すると語られ、大雨土石流を語る一面がある。
実際、佐久を通してか吾妻を通してかはわからないが、上州渋川のほうでも甌穴のある石をその名で呼んでいた(「剣磨石」)。蛇崩地名の連打される富岡にもそれがあったのだろうかと思うと面白い。