昔ある家で、主屋の下に泥を入れて白蛇を死なせてしまった。すると家の娘が病気になったので、家の守り神である白蛇を祀った室山神社を建立した。娘は元気になり、八十過ぎまで長生きした。
そして、死が近づいた病床で、「頭の上に蛇がいてオレを守ってくれてんだぁ。オレが死んだら奈良の猿沢の池に行って蛇を流してきてくれ」と遺言した。子どもたちは遺言のとおり、猿沢池に半紙の蛇を流した。
また、四十九日を過ぎてから、故人が子どものころ(地元の)近藤沼でよく遊んでいたということで、近藤沼にも半紙の蛇を流した。すると紙の蛇は沈むことなく泳いでいった。
市史上の「暮らしの中の世間話・蛇とムジナの話」という短いレポートが並べられている中より抜き出し、独自にタイトルをつけた。白蛇守られて一生を過ごしたお婆さんの話。
単に蛇が人の守護となった、という話では、それは報恩譚のような結構をとる(「白蛇の恩返し」)。その場合は、守るもの(蛇)と守られるもの(人)との主客は混同されないだろう。
ところが、この館林のお婆さんの話で興味深いのは、守り蛇を猿沢池に流した後に、お婆さんが子どものころよく遊んでいた近藤沼にも半紙の白蛇を流している点だ。近藤沼に流された方は、どう見てもお婆さんの魂、という感覚だろう。
すなわち、この事例は「女を守護する白蛇」の話であったとともに、「人は死んだら蛇になる」という感覚の残滓を伝えるものでもあるのじゃないかと思うのだ。館林のほうにはそれを勅裁に言う事例もある(「死者と蛇」)。