荘田沼の主

群馬県沼田市

昔、荘田の城が井土上町にあった頃、沼田経家の娘婿の藤原能成という人が城代となり、留守居役をしていた。この能成の子、能直という人は実は源頼朝の実子であり、豊前豊後の守護として赴任し、そこの緒方惟栄という人が利根郡の荘田城に流されてきていた。

冬が近づいたある日、能成の娘の具合が悪くなり、床に就くようになった。当時城前には大きな池があり、荘田沼と呼ばれ、主が棲んでいた。沼の主はお姫様が心配だったが、蛇の姿では行けないので、若い男の姿となって見舞い、不思議な玉を姫に与えた。その玉を舐めた姫は、次第に回復した。

ところが、この話を聞いた緒方惟栄が狐狸の仕業と疑い、男を退治することにした。名高い武芸者である惟栄の刀は強く、男は切られ、翌朝その血をたどってそれが沼の主であることが知れた。

姫がもらった玉は主の片方の目玉であり、惟栄さんに切られたのがもう片方の目玉だった。両眼を失くした沼の主は、正体を知られて沼に居ることもできず、大嵐とともに恩田へ下り、利根川に入って昇天したという。

このようなことがあって、春になると姫の病も癒え、惟栄を命の恩人と尊敬して二人は愛し合う仲となり、三郎という男の子も生まれた。惟栄さんは頼朝に許され本国へ帰ったが、一子三郎は荘田で成人し、沼田三郎惟泰と名乗り、荘田城主になったという。

『沼田市史 民俗編』より要約

この二話が前後して起こったこととして整合するとは思えず、その双方の錯綜の中に、本来語られていただろう蛇祖伝説があるのだろうと思われる。そもそも、引いた話からしても姫を助けていたヌシの蛇が、蛇を祖とする惟栄に退治されるという破綻した筋になっている。

さらには、沼田の奥には奥州安倍一族が落ち延びてきた、の伝があり、九州には緒方氏の祖を安倍一族だったと語るものもある。一方では、相模の大友・三浦氏が史上有力な沼田氏の祖ということもあり、渾沌甚だしい沼田の伝説といえる。