沼田湖の主

原文

大昔、沼田は大きな大きな湖でした。赤城山・子持山・大峰山・三峰山・武尊(ほたか)山に囲まれ、満々と水をたたえていました。

この湖には、何万年も棲んでいる、長さ何十メートルもある、角と四本の足のある「蛟」という竜がいました。湖に棲むたくさんの魚を従え、ゆうゆうと泳ぎ回っていました。

そのころ都では、女の天子様が治めていました。役人を諸国に遣わし、困っている人々を助けさせました。その一人が鳥臣(とりのおみ)です。鳥臣は、都から東国を治めるため信濃国に行き、沼を切り開いて田を造ったり、橋を架けたりして人々を救いました。

やがて、上野国に来て赤城山に登り、北を見ると大きな湖が目の下に広がっていました。この湖の水を干かして、村人のために田を開こうと考えました。ところが、湖には大きな大きな「蛟」が暴れ回っていました。湖の水は、戸河という所に高さ四〇メートル、厚さ七〇メートルもある岩の間から滝となって、ごうごうと落ちていました。

鳥臣は、村人に指図して、少しずつ岩を削り出しました。すると、湖の主「蛟」は、自分の棲み家を荒らされたので怒り狂い、暴れ出しました。水が少なくなるとますます暴れ、天に向かってほえる声は湖面を伝わり、山々谷々にこだまし、空は黒雲に覆われ、雷鳴がとどろき大雨となりました。村人は、恐れおののいて仕事が進みません。

鳥臣は、日本武尊と諏訪の神様に助けを求めました。尊は都の皇子様で、国々の悪者をこらしめて回り、利根の悪者を討ち村人を救ったので、武尊山に祀られていました。諏訪の神様は力の強いお方で、信濃国の諏訪湖のほとりに祀られていました。

二人の神様は力を合わせ、「蛟」をいさめました。神様にはかないません。「蛟」はある日、天高く飛び上がり、三峰山の大沼の底に深く沈んで姿を隠してしまいました。

村人は安心して工事を進め、鳥臣の工夫と努力により、一人も死者を出さないで水がなくなりました。沼のほとりに田が開かれ、「沼田」と名付けました。遠くからも人々が集まり、次々と田が開かれ、和田・庄田・硯田・恩田・川田・下沼田・町田などの七田を始めとして、美しい田が湖の跡にできました。これが沼田盆地です。

村人は、日本武尊と諏訪の神様を祀りました。ですから今でも、村々に尊を祀った武尊神社と諏訪神社があります。

「蛟」は何百年も三峰山の大沼の底に潜んでいましたが、ある年、関東地方にものすごい大雨が降り続き、三峰山の大沼がゴウという音とともに、水が山頂から一気に利根川に流れ出しました。すると、じっと潜んでいた「蛟」は、この水に乗って利根川を下り、遠く遠く太平洋へ逃げ去ったということです。(武井新平『沼田の歴史』、同「ふるさとの民話 沼田湖の主」『グラフぬまた』創刊号より)

『沼田市史 民俗編』より