利根の海の蛟

原文

大仁鳥の臣は戸河の瀧岩を割って利根の海の水を落とした。水はだんだんと退いて、今まで沼であったところは陸地となった。其の後、彼れは毎日のように朝は東の山際が白むか白まないのに家を出で諸々方々と馳けまわり、彼処をああ此処をこうと、田となすべき方途を人夫に授け、夕には暮の明星が光を投げ初めてからばかり家路を辿るのであった。

水は退いたと云うものの、ところどころにはまだ水の色が碧く見える程深いところがあり、又場所によっては恐ろしいような深い淵もあった。もともと利根の海には主とも云うべき蛟が住んで居た。

或る日の夕暮、大仁鳥の臣は其の日の仕事も果して、明日の仕事のことなど兎や角と考えながら家路を急ぐのであったが、とある深い淵の辺りに通りかかると、何丈と云うような大きな蛟は彼れを目がけて踊りかかった。彼れは驚いてひらりと体をかわした刹那、何処からともなく異様な姿をした一人の男が顕われて、只一刀の下に難なく蛟を切り殺すのであったが、蛟が其の傷にたおれると共に件の男の姿は搔き消すように消え失せた。

蛟は今まで自分の棲み所であり、又未来永劫自分のものと思って居た利根の海の水を退かされ、住むべき場所もなくなったので大仁鳥の臣を非常に憎み、喰い殺して仕舞おうとしたが、思わずも自分が殺されるような破目となった。

其の時、男の姿と顕われたのは諏訪大神であったと云う。大仁鳥の臣が初め勅を奉じて田を開くべく東國へ下り、信濃の國諏訪の湖の辺りに仮りの一夜を明かしたとき、諏訪大神は夢枕に立って彼れの勝れた腕前を賞美し、且つ彼れの身を守ってやろうと告げるのであったが、こうした告げのあった通り彼れは助けられた。

利根の海の水が退けた跡は立派な田となって沼田と呼ばれ、人も追々住むようになり、人家も構えられた。此の地方の村々には諏訪神社が祀られてあると云うが、それはこうした由来によるものと云う。

川田村の屋形原は昔館原と書いた。此処は大仁鳥の臣が館を構えて居たところであると云う。

暁風中島吉太郎『伝説の上州』
(中島吉太郎氏遺稿刊行会・昭7)より