蛇川の由来

群馬県太田市

新野に魚獲りやたきぎとりで暮らしている男がいた。ムラの東を流れる川のほとりに住んでいて、毎年ツバメが飛んできて巣を作った。ある秋、男は南へ帰るツバメに、お前は一度も土産を持ってこないな、と話しかけた。ツバメは黙って聞いていたが、そのまま飛んで行ってしまった。

翌年、またツバメが飛んできたが、口に小さな桐の箱をくわえて来た。その箱を座敷に置いたので、男が開けて見ると、中には小さな蛇がたくさん入っていた。

その蛇は次第に増えて、とうとう家の中からあふれ、近くの川の中までいっぱいになってしまった。川で魚を獲ることもできなくなり、困り果てた村の人々が神を祀ったところ、たちまちヘビはどこかへ姿を消したという。それからこの川を蛇川と呼んでいる。(新野)

『太田市史 通史編 民俗(下巻)』より要約

新野(にいの)には今も蛇川が流れるが、神を祀った、というのがどこにあたるのかは不明。新野は赤城さんの小祠を祀るが、それ以外となるとわからない。ともあれ、周辺この燕が蛇を持ってくる話が二三見え、殊にこの話は蛇川という名と関係づけられ、土地の伝説としてよく定着した感がある。

これは災害伝承のリストにも加えられており、話が土石流などのことを語っているのではないか、と暗示される。何を語った話なのかよくわからないこの燕の土産の話だが、ここには一面があるかもしれない。