田原秀郷の蜈蚣退治

群馬県伊勢崎市

毒島に城があったが、(沼の中にあり)こちらへ回るとこちらの沼が広くなり、あちらに回るとあちらの沼が広くなり、という具合で攻められなかった。そこで、田原秀郷とか何とかいうのが、これは蜈蚣の仕業だといって、毒を石の臼でついて、その毒で蜈蚣を殺して城を落としたという。毒島は深津のしもにあった。

伊勢崎市史民俗調査報告書第三集
『波志江町の民俗』(伊勢崎市)より要約

しかし、毒島城(赤堀今井町に城址がある)というのは赤堀にある城で、築城者は定かではないが、これが赤堀に仇なす百足の城であったというのも妙な話である。

この毒島城の伝説にも、そういった入れ替わりが見える、という事例となるだろう。どこをどうするとこうした話の変化が起きるのか、と考えると、あるいは面白い構成が見えてくるかもしれない。