蛇留淵と三境坊

群馬県桐生市

昔、山地村の西方の山中に全身真っ白な大蛇が住み着き、村に出てきては家畜を襲い、畑を荒らすようになった。10mもある大蛇ゆえ、いつ幼子など襲われるかと、昼間でも人っ子一人姿を見せない寂しい村になってしまった。村人たちは神仏の加護を祈るしかなかったが、大蛇は日増しに暴れるようになった。

そのころ、高園寺の末寺、高禅寺に三境坊という法力をよくする行者がいた。三境坊は村の窮状を聞き、山地村へ赴くと、その法力で大蛇を駆り出し、山麓へと追い落とした。白大蛇は法力に恐れをなし、桐生川のある淵に潜んだ。

これを三境坊は封じ、二度と大蛇が現れぬよう、見張り場所を設け、監視を怠らぬよう言い置いて戻って行った。村人たちは喜び、行者をたたえて白大蛇のいた山に三境山の名を贈り、淵の近くに法かけ橋・切りかけ橋とつけ、淵を蛇留淵と名づけて監視を怠らなかった。

『山田郡誌』には、「近くに白大蛇岩とよばれる、たて、よこ一丈四尺ほどの岩が残っている。むかしのこと、里人の星野某の攻撃に耐えかねた白大蛇が、この大岩に七回り半も巻きついて、そのまま息絶えた」という別の伝もある。

清水義男『黒幣の天狗』
(群馬サンケイ新聞社)より要約

桐生川を遡り、梅田ふるさとセンターのある少し上流に、今も蛇留(じゃる)淵はある。高禅寺の号が三境山高禅寺であったとあり、三境山を別名高禅寺山という。しかし、寺跡などは分からないようだ。

一帯は落石防止の金網の張り巡らされた岸壁があり、渓谷も岩を穿つ流れであり、と、大蛇が岩塊を齧り抜いたという多野の蛇喰渓谷と似たところがある。すなわち、蛇留(じゃる)とは「さる・ざる・ざれ」などと使われる崩壊地名ではないか、という点がこの話の重要なところとなる。

伝説においても大蛇が再び現れぬよう「見張り場所」を設けた、などというところにかなり色濃くその雰囲気が表れている(多野の蛇喰にも「ノゾキ」という地名が出てくる)。さる地名は多く猿の字を当てられるが、これは蛇を使った例かもしれない。