十六の娘

原文

この辺には、赤堀道元の娘が十六の年に、赤城の小沼へ入ったという伝説がある。

赤堀道元という人には子供がなかった。仕方なく、赤城の明神様へお願いして生まれたのが、その娘だった。十六の年まで育てたけれども、どうしても赤城へ行きてえといった。その娘は、子供のころからかわっていて、夜髪の毛がわさわさなる音がした。起きてみると、なんともなかったという。

道元の娘は、お供をつれて赤城の小沼へ行ったが、水が飲みたいという。ついて行った人が汲んで来てやると、自分で飲みに行きたいという。そういって、自分で沢まで行って沼へ入ってしまった。

道元という人は大変えらい人で、どうしても、娘の死骸を沼から出してやるという。くろくわ(土方)千人をあげてでも沼をほっきって、出してやるといって、沼をほっきった。そのあとが、今でも用水の水門になっている。

ほっきって出すといったときに、娘はえらい姿になって出て、

「おれはこういう姿になったからあきらめてくれ。」

といった。娘はそのとき、大蛇とか竜の姿になったということだ。

道元は、娘の衣装をあっちこっちのお寺へ納めたという。湧丸の医光寺でも、四月八日には、娘の帯などをかざっている。

このために、十六歳の年には、女の子は赤城山へやるなといういい伝えがある。

また、神様の申し子はやたらにするものではないともいう(勢多郡黒保根村上田沢字川久保、『ふるさと』一九六六年版)。

 

※原題は「赤堀道元の娘」

『群馬県史 資料編27 民俗3』より