十六の娘

群馬県桐生市

赤堀道元には子供がなく、赤城の明神にお願いして娘が生まれた。十六の年まで育てたところ、娘がどうしても赤城に行きたいと言った。その娘は、子供のころから変わっていて、夜に髪の毛がわさわさなる音がしたという。

道元の娘はお供を連れて赤城の小沼に行き、水が飲みたいと言って沼へ入ってしまった。道元は娘の死骸を沼から出そうと、黒鍬(土方)千人で沼を掘り切った。その跡は今でも用水の水門になっている。

このとき、娘は大蛇とか竜の姿になって現れ、おれはこういう姿になったからあきらめてくれ、と言ったという。道元は娘の衣装をあちこちの寺へ納めた。湧丸の医光寺でも、四月八日に娘の帯などを飾っている。

このことから、十六歳の女の子は赤城山へやるな、と言い伝えられている。また、神様の申し子はやたらにするものではない、とも言う。(勢多郡黒保根村上田沢字川久保)

『群馬県史 資料編27 民俗3』より要約

重要なのは、伝説は赤堀道元がそうしたから、なのだが、結末は「十六歳の女の子は赤城山へやるな」と地域の人々一般に敷衍していわれるところにある。つまり、人の女には、年によって蛇に近接する時期がある、という考えがあったらしいことを示す話というところに注目すべきなのだ。