賀茂さま蛇

原文

「キャーッ。おばあちゃん、天井に大きな蛇がーー。」

突然の孫娘の悲鳴に、

「どれどれ、どこにだね。」

と、おばあさんが曲がった腰に両手を組ませ、前かがみになって、ひょこひょこと土間に出てきました。

「ほら、あそこ、あそこに!」

「ああ、あれはアオダイショウじゃよ。アオダイショウなら大丈夫じゃ。心配はいらん。」

「でも、怖いよう。」

「怖いことはないよ。アオダイショウはな、『賀茂さま蛇』と呼ばれる賀茂の神様のお使い姫じゃて、絶対に悪戯はせん。」

「どうして?でも、やっぱり気持ち悪い。」

「大丈夫じゃ、大丈夫じゃ。気持ち悪いくらいは我慢せい。怖いからといって、叩いたり追い払ったりは決してせんようにな。」

こう言うとおばあさんは、またひょこひょこと部屋へ戻っていきました。

広沢の地区には、上野国十二社の一つ、式内社・賀茂神社が祀られています。この賀茂神社のお使い姫がアオダイショウ。それも尾の切れたアオダイショウでした。この地区は、昔は、たくさんの桑畑が広がる静かな農村地帯。桑畑の広さから、養蚕を家業の中心にしている農家もたくさんありました。

「家は田畑が少ねえもんで、おこさま(蚕)をしっかり育てていかねえと、暮らしが苦しくなるからなあ。」

「俺ンちも同じだよ。いいおこさまに仕上げにゃなんねえよな。」

「今年は、お天気がよかったから桑の育ちがいい。がんばって立派なおこさまに育てて、いい繭をつくろうよ。」

養蚕農家の人たちは、このように蚕のことを「おこさま」と呼んで、わが子同様に大切に慈しみ、毎年せっせと立派なおこさまを育て上げていました。

毎朝暗いうちから起き出しては桑摘みをし、雨が降った後や露で桑の葉が濡れているときなどは、その濡れた桑の葉の雨や露を一枚一枚ていねいにふき取り、水気を取ってから給餌をしました。気温が低くなって蚕室が冷えていれば、炭火をたいて蚕室を暖め面倒をみるというふうに……

ところが、これほど不眠不休で大切に育て上げてきたおこさまが、不幸にして、一夜で全滅させられてしまうことがよくありました。犯人は蚕の天敵・ネズミでした。ですから、養蚕農家は、このネズミ駆除にいつも腐心していました。が、なかなか思うようにはいかず、常に悩みの種となっていたのです。

この天敵・ネズミの駆除を村の総鎮守・賀茂神社に祈願すると、お使い姫のアオダイショウが、見事に駆除をしてくれるという、大変な御利益が昔から伝えられてきました。事実、その御利益を口にする養蚕農家は多くありました。ですから、養蚕農家は毎年、養蚕の時期になりますと、こぞって賀茂神社へ詣でてネズミ駆除の祈願をし、お使い姫をお借りして帰ったのです。

でも、賀茂神社には、それほどたくさんのお使い姫がいるわけではありません。そこで、家の中に忍び込んでくるアオダイショウでも、お使い姫の代わりと受け止め、養蚕農家では「賀茂さま蛇」と呼んで、決していじめたり追い払ったりはしませんでした。

「家の中に蛇が入ってきても、アオダイショウだったらいじめたり、追い払ったりはしないで、大事に大事にするんだよ。」

「アオダイショウはな、『賀茂さま蛇』なんだ。鎮守さまの身代わりなんだ。」

「賀茂さま蛇を殺したり、ケガをさせたりすると、たちまち祟りで高い熱が出て、死ぬほどの苦しみを味あわされるというんだよ。だから、決していじめちゃなんねんぞ。」

と、親から子、子から孫へと、代々言い伝えてきたのです。

ところで、本物のお使い姫のアオダイショウは数が少ないため、何回祈願に出向いても、ほとんどの人は借りることができませんでした。いいえ、何十回祈願しても駄目な人さえありました。

「わしの家は、いつになったらお使い姫をお借りできるのだろうなあ。もう、十日もお参りに来ているんだけどなあ。」

「十日?それくらいならまだまだ序の口。俺なんか、もう何十回お願いに来たか、覚えていないくらいさ。それでも、まだ一度もお借りできねえんだよ。」

「そうかい。賀茂さま蛇を借りるというのは難儀なこった。なにかいい方法はないもんかねえ。せっかくでっかくなったおこさまを、ネズミに殺られちまっては、元も子もなくなっちまうからな。」

こんな養蚕農家のボヤキが、養蚕の時期がやってくるたびに、神様の耳にイヤッというほど入ってきました。

「農家の人たちのボヤキもようわかる。かと言って、お使い姫をそうそう増やすことはできん。さて、どうしたものかのう。」

神様は、そのたびに、いろいろと考えました。そして、ようやくよいことを思いつきました。

「そうじゃ、そうじゃ。それがいい、それがいい。」

と言って、ニッコリと笑顔を見せられました。

神様が思いついたこと── それは、絵馬の図柄を蛇にしてお使い姫の代わりとし、おこさまをネズミの被害から守ってあげるということでした。

「おい、聞いたかい。こんど鎮守さまではお使い姫の代わりに、蛇の絵馬を貸し出すことにしたんだとよ。」

「ほおう。」

清水義男『ふるさと 桐生の昔話 第9集』
(日刊きりゅう)より